明らかに歓迎されていない、そんな顔がここにある。
 この展開を全く予測できなかった訳じゃない。そもそもこういった類の話をリョータが快く思わないであろう事はもう分かりきっていたし、一筋縄で許諾が出るとも思っていない。
 三ヶ月ほど前に友人と旅行に行こうという話が出ていたのをすっかり忘れていた訳だけど、場所はどこにするか?という具体的な内容の文章が飛んできて思い出して肝を冷やす。尚、この約束をした時はまだリョータは帰国していなかったので完全に油断をしていた。
「……なんで?」
「なんでと言われましても……元々予定してた事だし。」
「だからなんで?」
「話聞くつもりはありますか?」
 多分聞く気はないのだろうと思う……というか受け入れる気がないのだろうと思う。旅行に行くのって事前の申請と承認が必要なものだっただろうか?そんなワークフロー、少なくとも私は聞いたことがない。
「俺とも来月沖縄に旅行行くよね?」
「行くね?」
「それだけじゃ駄目ってこと?」
「いやほんとそうじゃなくてですね……一つ確認なんだけど、友達と旅行行くのってそんなにイケナイ事だったっけ?」
 どうして旅行に行く報告をしているだけで、こうも殺伐とした雰囲気になっているんだろうか。ついさっきまで機嫌が良さそうに短パンから出ている私の脚を触っていた筈だったのに、一気にこの地獄絵図のような状況が展開されている。
「何しに行く訳?」
「観光とか温泉とかさ……行きたいじゃん?」
「温泉?誰と?」
「だから友達とッ!」
 もう話が通じる状態じゃない。友達と旅行に行くと言って温泉の話をして、その相手が誰かを聞いてくるこの男はどうかしている。自分はサウナや銭湯が好きで頻繁に行く癖に、私が一緒に行きたいと言うと驚くほど顔を顰めてくる。入るの女湯なんですが?
「それってどうしても行かないとイケナイやつ?」
「です。」
「じゃあその間俺の事はどうするの?」
「あのさ……赤子じゃないんだから大丈夫でしょ普通に。」
「一日会えないとか死んじゃう。」
 自分もバスケの遠征で三日家を空ける事だってあるのに何を言っているんだろうか。そう思ったけれど、結局遠征の予定を前倒しして最短ルートで帰ってもくるし、遠征中は決まった時間に一日三回、朝・昼・晩と電話をしていたのを思い出した。それも映像必須で。
「電話ちゃんとするから、ね?」
「…何回?」
「そうだね、朝昼晩の三回でどうかな。」
「……足りない、全然足りない。」
 むしろこれは回数の話ではなくて、きっと何回実施したところでリョータにとっては足りないのだろう。なら何回ならいいの?そう聞くことは止めておいた。無理難題な回数を言われても困るのは私でしかないので。
「結構前から予定して有給も出してたし……」
「ナマエはそれで平気なの?」
「だってリョータと沢山テレビ電話するもん。」
「………」
 なんとか少しでもこの辺りで機嫌を取り戻しておきたくて、寄り添うようにそういえばリョータも考えてくれているようだ。何を言えばリョータを喜ばせることができるだろうか。色々と思考して、最善を尽くす。まだ旅行に行っている訳でもないのに。
「お風呂上がって浴衣に着替えたら電話するね?」
「………うん。」
 リョータはパーソナルスペースがとても狭い分、限られた人間としか交流を持たない。私たちが一緒に暮らしているこの家に招くのも安田くんくらいなものだ。三井さんは呼ばなくても何故だか定期的に来るけれど。
 デリケートで繊細で嫉妬心の塊でありながら、結構チョロいのがリョータの特徴的な部分で、私にとっては助かる要因でしかない。
 遠距離が長かったとは言え、長年付き合ってきたリョータの事はそこそこ読めている。リョータは“非日常”だったり、“特別感”のあるものが好きなのは間違いない。アメリカに長くいた彼にとって浴衣という非日常は効くはずだ。バチバチに。
「お土産も沢山買ってくるね?」
「……うん。」
「だから行ってくるね?」
 うん、という返事はなかったけれど、答えを紡ぐようにミチミチと発育した筋肉質な両腕で私の事を抱きしめる。多分これは無言のオーケーのサインなのだろうと思う。そう解釈しないと一生旅行の計画は進まない。
 思考をすり替えるために、私は沖縄の観光スポットをスマートフォンで調べて、そしてリョータに見せつける。この旅行の後に待ち構えているリョータとの沖縄旅行に話をすり替えたのだ。
「……沢山電話してね?」
「そうできるように努めますね。」
「あとお酒は飲まないで。」
「いや、無理でしょ………」
「じゃあ飲んでる時に周りのメンツ見せて。」
 この驚く程の独占欲と嫉妬はどこから生まれているんだろうか。まるで私がそうさせるだけの前科を起こしているみたいじゃないか。そんな前科はないし、高校の時以上に独占欲が上昇しているのに加えてそれを隠す事をしないのでタチが悪い。
「リョータが心配するような事ないんだけどな。」
「……分かんないだろ?」
「だってリョータ以外の男の人に興味ないしさ。」
 デリカシーの有無を別として、私の会社の先輩でもある三井さんが普通にイケメン枠なのもリョータは気にしているようだったので、本音でしかないそんな言葉をポロッと口からこぼしてみたけれど、無言の時間が続いている。
 言うタイミングと内容を盛大に間違えたかもしれない。
「………こっち来て。」
「まだ八時。」
「いいから早く来て。」
 腕を引かれて、いつものようにすぅっと脚に手が移行する。夏場でちょうど暑いなと思っていたタイミングで、彼が新しいパジャマを買ってきてくれた。夏場にちょうどいい短パンとシャツのセットアップ、それを着用するようになってからリョータは私の脚を日常的に触る。
「ほんとさ、」
「なに?」
「……好き。」
 最早日常的な一コマとなっているこんなやり取りに、今日も夜がやってきたんだなとそう思うくらいには、私の日常にリョータが組み込まれている。





「アンタの彼氏がそんなに厳しいとはね?」
 大学時代の友人達との旅行に、私はなんとか出掛ける事が出来ていた。一時は押し負けそうになったけれど、粘り強い根気と熟知した彼の性格を読んでなんとか手に入れた勝利だ。条件付きの。
「まあ厳しいというか劇的に甘いというか……」
「なに、旅先でも惚気とかやめてよね。」
「いや惚気とかじゃなくて……まあいいんだけど。」
 高校時代の友人以外は私の長年付き合っている相手が“宮城リョータ”である事は知らない。私が言っていないからだ。高校時代に付き合っていた人と遠距離恋愛を続けているという、そんな表面的なツルっとした部分しか知らない。
「ナマエがネイルなんて珍しくない?」
「うん、なんか彼氏がせっせと塗ってた。」
「……言った側から惚気?」
「いやね?ほんとさ惚気じゃないんだって…」
 私が強請って買ってもらった訳でもなければ、もちろん塗ってくれと頼んだ訳でもない。これはこの間デパ地下に行った時、リョータが独自の判断で買っていた贈与品の一つだ。少し温かみのある暖色らしい黄色がエネルギッシュなネイルだ。
「黒い稲妻?」
「そう、なんかシール貼ってた。」
「どんな彼氏なの、それ。」
「どんなと言われても説明できない。」
「は〜〜、羨ましい。」
 友人二人が口を揃えてそう言う。私がリョータと遠距離真っ最中で年に一度会えるか会えないかの時に、そんな織姫と彦星の頻度でしか会えない彼氏よりも近場で沢山会える彼氏にしておけばいいと散々言っていた気がするけれど。過去の記憶が捻じ曲がっているのだろうか?
「なんかこの色にこの稲妻って、」
「ん?」
「見覚えある気がするんだよね、最近特に。」
「そうなの?流行ってるのかな。」
 友人二人はそう言えば……と首を捻りながら見覚えがあると考えているようだが、当の本人である私はまるで見覚えもなく、手を高く翳して太陽を遮る。雨女と自負しているけれど、これ程見事なまでに晴れるなんて珍しい。
 ただ純粋にラッキーなのか、それとも天変地異の前触れか……純粋に喜んだのも束の間、すぐになんだか妙な気配を感じとった気がした。
「チェックイン遅れるから早く行こ?」
 頭の中の考えを相殺するように、足を動かせる。今は旅行中だ。楽しい事が待っているはずだし、少なくとも今の所私が知る限りでは楽しい予定しかない。きっと大丈夫だ。
「なんかはぐらかされてない?」
「ない!ないから早く!」
 はぐらかしているのは半分は本当なので、私も珍しく意地になったように先陣を切って道を切り開いていく。開けた先に見えたのは、宿の名前が記されている看板だ。これでいい。
 色んな意味で額を濡らした汗を拭って涼しい旅館に入る。
「夜みんなでやろうと思ってほら、トラ…ン、プ…」
「なにこの香り!」
 少しでもリョータの事から友人二人の意識を削ごうとバッグの中に入れていたトランプを取り出そうとチャックを開いたのと同時に、あまりにも濃すぎる匂いが充満した。思わず「あぁ……」と天を仰ぎたくなる声が出た。
 なにこの香り?よく知っています。
 明日着る予定で仕舞い込んでいた洋服を取り上げると、そこにいるかのように“リョータの香り”が纏われている。まるで旅行についてきたのかと思ってしまいそうな、そんな再現性を秘めている……やめて欲しい。
「ナマエの香水じゃないよね?」
「……ごめん、それ以上聞かないでくれますか。」
「掘り出しどころしかないんですが。」
「お慈悲を。」
「てか普通に見せつけじゃん。」
「断じて違うそれだけは違う!」
 まるで信じようとしない二人に、けれど私も第三者的に今の自分を見ればきっと同じ事を思うだろうから致し方ないのかもしれない。しかしながら大学時代からもう長く交友関係を継続しているのだから、私がそんな女ではない事くらいわかっていて欲しいものだ。
 “虫除け”という意味を込めてリョータがこっそり鞄の中身に“自分”を吹きかけたに違いない。旅先で新しい出会いに乾杯している私の未来図でも見えていましたか?私が一体何の前科を犯したと言うのだろうか。
「先お風呂入ろうよ?露天もあったし!ね?」
 猛スピードでバッグのチャックを巻き戻して、私は三枚置いてある浴衣と帯を手に持って再び友人二人を先導する……そういうタイプじゃないんだけどな。旅先でこんなどっと疲れる事になるとは夢にも思わない。
 温泉に入っても、露天風呂に入ってもどこか私はそわそわしていて、上せたから先に上がって待っていると告げて、随分早く温泉を切り上げて部屋へと戻った。
 さっきから何度かスマートフォンが鳴っている事には気づいていた。目一杯気づいてないふりをしてお風呂に入ったけれど。
「もしもし?」
 すぐに出れなくてごめんね、そう口を開こうとする前にいち早くリョータのとても静かで、そして感情が篭っていないそんな言葉が遮った。
「なんですぐ出ないの?」
「移動とかもあるし出れない時もあるでしょ……」
「電話するって約束したじゃん。」
「今ちゃんとしてるじゃん?」
 インカメラに切り替えて、しっかりと自分を映し出すと「………うん」少しの沈黙の後、一度納得してくれたのでホッと肩を撫で下ろす。このチョロさがなければもう何も成立しない。
「ちなみに何で誰も部屋にいないの?」
「リョータと電話するしお風呂早く出てきたから。」
「……なんで?」
 リョータはスイッチが入ると宇宙人になる。なんでなんで星人だ。何を聞いても返ってくる言葉は「なんで?」になり、意思疎通が限りなく困難だ。普通電話をする時、人目につかないところでするのは当たり前じゃないだろうか?団欒中に急に彼氏と電話し始めたらそれは考えものだ。
「何か隠してないよね?」
「……そんな訳ないでしょ。」
「ほんとに?」
「あんなに香水撒いといてよくそんな事言うね?」
 自分の非(?)に対しては「そう?」とケロッとした顔で言ってのけるので骨が折れる。アメリカを経るとメンタルと筋肉が極端に発達するものなんだろうか。もしそうなら私も一度アメリカへ留学した方がいいのかもしれない。
「ナマエお待たせ〜ご飯前に……、ん?」
 何も事情を把握していない友人が旅館の襖を開けて戻ってくると、向かい合いながらリョータと話している私にすぐに察したように画面に近づいてくる。
「初めまして、大学時代の友人で……ってナマエちょっと待ってよ、彼氏って宮城リョータだったの?」
「うん、そうだけど何で?」
「何でって……あんためちゃくちゃ有名人じゃん!」
 そうは言うけれど、一体いつのタイミングでそれを言えば正解だったのだろうか。大学時代に知り合った友人にアメリカへ留学している自分の彼氏の名前を伝えるのも違うし、だからと言って有名になったタイミングで言いふらすのも絶妙ないやらしさがある。
「えっとごめん……リョータ後で電話する。」
 そう言い残して、私は赤い終話ボタンに触れた。
 ヘアバンドをつけた完全にオフモードのリョータが画面からぷつりと消えた……後でなんでなんで星人に繰り返し問い詰められることは既に覚悟の上だ。これ以上この状況を続けても誰も得をしないという、私の独断と偏見で出した最善案だ。
「つまりそのネイル、宮城選手がやったって事?」
「……そうだけど。」
「宮城選手のイメージカラー知ってる?」
 何のことかと首を傾げている私に、友人はスマートフォンの画面を高速ですいすいと滑らせている。そしてとある画面を私に見せつけるように押しつけた。
「これ!」
「……なに。」
「黄色に黒い稲妻。」
 リョータが所属しているチームのインスタグラムにはしっかりとそれが映っている。彼の紹介と共に頻繁に更新されている黄色と、黒い稲妻マーク。私の爪に塗られたその黄色と、そして親指に付けられている黒い稲妻。
「この香水も宮城選手の匂いってわけ?」
 聞いているだけで居た堪れなくなって、「どくせんよ…」まで言いかかった友人の口を塞いでしばし今後の事を考える。自分で電話を切っておきながら、珍しく私からすぐに電話を折り返す未来しか思い浮かばない。
 私は浴衣の帯をギュッと締めて、どうしようもない気持ちを抱えながら廊下で着信履歴をタップした。
「…リョータ!」
 とりあえず今確信したのは、彼の独占欲は海よりも深く、そしてサハラ砂漠よりも広いという事。あとは私の事が大好きだというもう既に分かりきっているそんな事実だけだ。



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( 2023’07’12 )