戦況が悪化した頃、新撰組は江戸へと陣を移していた。勝利を確信した私達に待ち受けていたのは悲劇以外の何でもなく、私はこの地へと取り残された。彼は、私をこの地に残して行ってしまった。
 私と、彼が、生まれ育ったこの地に。
 ここで待っていろ   そんな、何の確証もない置手紙を、残しただけで。





土方歳三様へ
何ですかあの文。ここを出ていくのであれば文ではなく直接私に告げるというのがせめてもの義務というものなのではないでしょうか。私、怒ってるんです。形はどうあれ、新撰組にとって足手まといでしかない私だったけれど、それでも私はその中で   貴方と、生活を共にしていたのですから。…何も言わずに私の元を去るだなんて、卑怯だとは思いません?



青葉へ
卑怯とはまたご挨拶なこったな。相変わらずお前は口が悪くていけねえ。もう少し汐らしくしておけばどうなんだ?そうすれば少しはマシな男でも寄りついてくると思うがな。取りあえずお前はもう少し女らしくしていろ。守られていろ、それだけでいい。



土方歳三様へ
そうやって話を反らすのですね。大事な事程はっきり言おうとしないのは貴方が子どもの頃から変わっていないのですね。今はそんな貴方の優しさが憎らしいです。酷く。それと、私が女らしくないという事についてですが、それは貴方にも責任がある事でしょう?武士に憧れ、そしてそれを現実にした貴方の傍にいた私が女らしくては傍になどいられなかったのですから。別に殿方に好かれたい訳ではないの。そもそも、もし万一私が人肌恋しくなって他の殿方を求めれば、貴方はどうしますか?怒って、くれますか?



青葉へ
ガキの頃と一緒にされちゃ困る。俺はもう、大人なんだからな。それを言うならお前もお前だろう。昔から場の空気も読まずに何でもガツガツ言いやがる。少しくらいは、空気を読め。いい歳して成長しねえなお前は。いつまで俺の手を煩わせば気が済むんだ?もうガキじゃねえんだよ、俺も、お前も。世の中には触れちゃいけねえもんってのが存在するんだ。俺はお前を置いて行った事、これっぽっちも後悔しちゃいねえ。正しい判断だと自負している。それと、だ。最後の文章は何の期待を込めてんだ?…………理解に苦しむ。



土方歳三様へ
結論から申します。私は、子どもですよ。貴方が私の元へと帰って来ないのであればいつまででも、私があの世へと旅立つその日まで貴方の手を煩わすし、いつまでたっても子どもで構わない。   なんて、こんな事を女に言わせておいてどうも思いませんか?もし心が痛まないのだとすれば貴方は罪深い。これは本来、貴方が私に言わなければならない言葉の筈なのに。やっぱり貴方の判断は間違っている。自負だなんてとんでもない。自惚れるのも体外にしてください。



青葉へ
頭が悪い女だったとは知らなかったな。頑固なのはしょうがないとしてもお前はもう少し賢い女だと思っていた。いや、そう勝手に思い込んでいた俺が馬鹿なのかもしれねえな。なあ青葉、俺に甘い言葉を求めてるってならもう諦めろ。俺にはお前を癒してやる言葉をかける事も出来ねえし、お前が悲しくて泣いていようが手を差し伸べてやる事は出来ない。もう昔とは違うんだ。お前の幻想の中で生きている俺はもう、いない。お前の知っている土方歳三はもう、いないんだ。分かるか?お前、本当は誰よりも一番分かってるんだろ?



土方歳三様へ
私は子どもで、空気が読めなくて、貴方の手を煩わす、頑固で頭の悪い女なんです。そんな事、今知ったの?私はとっくに知っているものかと思っていました。そんな貴方の方こそ、やはり頭が弱いんじゃないでしょうか。今少し、心配になりました。貴方の理解力の弱さに。別に癒しが欲しい訳じゃない。自分の涙くらい自分で拭えるもの。私はそんなへなっちょこじゃありません。それに、私の知っている土方歳三は昔からそんな優しい男じゃなかったですし。これでも尚私を愚弄しますか?



青葉へ
…嗚呼もう本当に聞きわけのねえ女だな、お前。もう忠告するのも馬鹿馬鹿しくなってきやがった。もう金輪際お前の為に助言してやる事は止めるからな。まだ文をこうして書いてやってるのは昔の誼みだ。有難く思え。だからもう、頭がイかれたんじゃねえかと疑うような事を言うなよ。頼むから。お前が知ってる新撰組は、ちゃんと此処にある。俺と近藤さんが変わらず守ってるよ。いっちょまえに心配なんかすんな。あと、その妙な敬語も止めろ。言ってる事と口調が合わねえんだよ。らしくねえ事するな。それで、そっちはどうだ?



トシへ
手紙にまでイチャモンつけないで欲しいです。別に文に何を書くのかくらい私の自由でしょう?それとも、私の自由さえも阻むつもり?でもそれはそれでいいかもしれない。私、トシになら自由だって奪われても構わないんだから。強情な私がこんな事言ってるんだから、それなりに察して欲しいです。新撰組が守られてると聞いて少しだけ、安心しました。江戸はまだ平気です。多摩も私とトシが知っている風景が、ちゃんと残っています。



青葉へ
言った傍から人の約束破るとは一体どういう了見だ?お前どっか一本ネジがイっちまってないか?……心配だ。とても。そうか、そっちはまだそんなに酷くねえんだな。俺はこれから北上する。新撰組の名をくれた、会津にな。……なあ、俺は道を間違えてしまったかもしれない。俺は、どうしたらいい?何を信じて、何の為に、戦えば、生きていけばいい?分からなくなったんだ。教えてくれ、青葉。自分らしくねえって事なんて承知だ。でもお前なら、その答えを知ってる気がしたんだよ。



トシへ
私は相変わらずです。ネジが一本なくなってはいないから、安心して。これで貴方が不安に思う事、一つは減ってればいいと思います。とても帰ってきてなんて言えない状況なんだね。万年空気の読めない私だけど、今は読めないなりに空気を読んだ気がする。ねえトシ。私は男気があって、何があってもブレない、信念を変えないトシを誇りに思ってる。何の為だなんて、なんだっていいじゃない。生きていれば目的はいくらでも新しく作る事が出来るでしょう?貴方が弱気になっては、誰が私を叱りつけてくれるっていうの?



青葉へ
お前の言葉が耳に痛い。正論だからか、それとも俺が青葉の言葉にそぐわない男だからか、今はそのどっちでもあるような気がするよ。なあ、俺が失っちまった目的ってもんはとてつもなく大きいんだ。そんな目的を失った俺でもまだ先に進めるとお前は思うか?こんなちっぽけな文を心の励みにして、縋っている俺でもまだ戦っていけるとそう思うか?誰かを裏切って生きていく事に何の躊躇いも持たなかった俺が、唯一のものを裏切って尚、力を発揮できるか?……お前の本音が、聞きたい。



トシへ
武士に二言はないと言う言葉はトシの為にあるんじゃないかって、私はそう思ってる。貴方は約束を破らない人でしょう?昔から、私と一緒で頑固だったけれど約束だけは絶対に守ってくれた。貴方が失ったもの、取り戻す事はできないものだけど、それはトシが裏切った訳じゃないって私は分かってるよ。しょうがないって言葉を言えばトシは怒るだろうけど、きっとどうしようもなかった。近藤さんは、優しい人だったから。最後に重たい荷物を残した彼を、許してあげて欲しいと私は思います。トシは、それを背負えるだけの強さ、もっているでしょう?



青葉へ
そんな大層な言葉を俺に使うんじゃねえよ。破れなくなるだろうが。お前の言う通り、ただの重たい荷物には違いねえけど俺はその土産を拾おうと思うよ。聊か気には食わねえが、少しお前に救われた気がする。最近、お前が俺を付けてきてんじゃねえかと思っちまう。いつから透視出来るようになったんだ?近藤さんから託されたモンだけでも十分重てえってのにお前の言葉がずっしりと重たく俺に圧し掛かって来る。まあでもその重みがあるからこそ俺はまだこうして動き続ける事が出来るのかもしれない。でもまだ足りない。何にも屈しない力が、欲しい。



トシへ
私もそろそろトシからの土産が欲しいです。ちなみに土産は生ものがいいです。お菓子なんかじゃなくて、生きている貴方を土産に欲しいです。という我儘はもう少し先まで取っておく事にします。今はその時期じゃないと、私も分かっているから。暫くは我慢しておく。私、我慢強いでしょう?帰ってきたら気が滅入る程褒めて貰うからそのつもりでいてください。ねえトシ、約束して?時期が来るまで私もう我がままは言いません。だから何もかもが済んだら必ず、必ず、私の元へと帰ってきてね?



青葉へ
認めてやるよ。今はお前の融通の良さがありがたい。褒美ならいくらでもくれてやるよ。お前が嫌がるくらい、寝ても覚めてもずっと褒め続けてやる。俺の一生分の優しさを使い切ってでもな。だから待っていろ。今のように、我慢してろ。もう少しの辛抱だ。約束する、必ず帰る。その日まで待っていてくれ。今の俺には少し、荷物が多すぎる。手に余るくらい、持ちきれない程の荷物がお前の元に行く俺の足を阻んでやがる。分かるか?でも必ず荷物、減らして帰るよ。お前が望んだ土産を持ってな。









青葉へ
暫く文を出せなくて悪かったな。俺は今仙台に入った。会津の戦況は……お前の耳にも届いているだろう。でもまだ希望を捨てるな。不器用な男が一人、そこで戦ってる。信頼のおける奴だ。きっとあいつならいい結果を残してくれる、俺はそう信じている。きっとあいつにとっちゃそれが重たい荷物なんだろうけどな。そっちの様子はどうだ?相変わらずか?そうであって欲しい、お前が無事だって知らせが、俺の活力になる気がするんだ。これを読んだらすぐに返事を書いてくれ。頼む。



トシへ
仙台はどうですか?寒くはないですか?ちゃんと、ご飯食べてる?トシはこれと決めた事が先にあると何もかも忘れたように一直線になるから……強いが故に貴方が心配です。ねえ、心配するくらいはいいでしょう?私文が中々来なかったけれど我慢したんだから。会津の話、トシのその言葉を聞いて少し安心しました。また帰ってきた時に色々聞かせてね?私は無事です。でも、江戸は少しずつ……私達の知っていた景色が、変わってしまった。ねえトシ。例え私達が育ったこの町が色や形を変えても、私達は変わらないでいられるかな?



青葉へ
姉貴みたいな事を言ってくれるな。ちゃんと食ってるし、寒いと言っても死ぬ程ではない。あまり心配するな。気遣いだけ、受け取っておくからよ。お前何弱気になってんだ?俺は俺の信念の為に戦ってる。そんな俺が全ての役目を終えてお前の元に帰った時、青葉が弱気になっていてどうするんだ?江戸を守れなんて大それた事は言わない。でも、俺が帰れる場所くらいは守っておけ。俺たちが繋がっていられるのは町や形なのか?違うだろう。そんなちっぽけなもんでしか繋がれないのか?そこの所をもう一度よく考えておけ。



トシへ
トシの言う通り私は少し弱気になっていた。もう性に合わない事はしない事にします。少しでも貴方の担いでいる荷物が軽くなりますように。此処は大丈夫です。トシが帰って来る場所は死んでも私が守るって今決めたから。そしたら私達、昔みたいな生活が出来るよね?穏やかで、喉かで、質素だけれど満たされている、そんな生活が出来る場所、私が作っておくから。だからトシはもう少しだけ前へと進んで下さい。私、自分の涙くらい、今だけは自分で拭うから。だからどうか無事で。変わらず憎らしいその顔を、いつの日にか見せて下さい。









青葉へ
また時間が空いてしまったな。仙台での仕事が一つ終わったからこうして文を書いている。俺は少し、身軽になった。前よりもずっとな。情けない話、俺は今また弱気になっている。重い荷物で慣れ続けたこの体があまりに身軽でスースーしやがる。また、道を間違えたんじゃないか、不安なんだ。なあ青葉、やっぱり俺は道を違えたのか?俺に残された数少ない大事なものが二つ、消えてなくなった。身軽になったと言ったのは本音だが少し空っぽなんだ。またお前の声が、本音が聞きたくなった。



トシへ
風の噂で戦の中心が蝦夷になったと聞きました。また文が開いている事を考えると貴方は今その激戦地へと向かっているんでしょうね。身軽になったなんて、嘘。確かにそう思うのも無理はないかもしれないけれど、本当の意味でトシの荷物が軽くなるのは私の元へと戻ってきて、全てを終わらせた時だけなんだから。その重みが貴方を強くしている事、どうか忘れないでください。少なくなっても、私は最後まで貴方の味方でいると誓うから。私の本音はいつだって貴方の傍に、あります。



青葉へ
本当にお前は耳が早いな。俺は蝦夷に入った。陸軍奉行並ってまたどデカい荷物が俺に纏わりつきやがった。お前と言い、俺はとことん厄介な物に好かれる質らしいな。またとんでもねえ事言うな、お前。俺の荷物が増えるだけだってか?押しつぶされろって言ってるようなもんだろそれ。まあでも軽くなると分かっちゃそうも言ってられないな。…味方か。とてつもなく重たいようで、今はそれが心地いい響きだ。お前ならそう言ってくれると、信じていた。いい意味でも悪い意味でもお前は俺をいつだって裏切らない。そうだろ?



トシへ
何を言ってるの?貴方は今、立派に武士をしているんじゃない。どれだけ憧れても手に入らないと一度は諦めたその夢を現実のものへと変えたのはトシの力だよ。トシが私の元を離れたのは貴方が武士になったからであって、私は少なからず“武士”というものに嫉妬したけれど、だからこそ最後まで貫いてみせてよ。じゃなきゃ私が納得出来ないし、トシが背負っている沢山の見えない同士が、許さないよ。私はね、武士である貴方が眩しすぎる程に輝いて見える。田んぼを耕していただけのトシよりも、ずっと。



青葉へ
俺は本物の武士じゃない。生まれで随分苦労させられて、結局まがい物呼ばわりされたが、それでもお前は俺を立派な武士だと言ってくれるだろうか。それともう一つ。俺はこの間の戦で死ぬ目にあったんだ。そんな俺が何事もなくこうしてお前に文を寄越してるのがどういう意味かはさすがのお前も分かるだろう?昔の俺だったらそのまま死んでいただろう。俺は戦場に死に場を求めてた。でもお前が待ってるのかと思うと死んでも死にきれなかった。……青葉、こんな俺でもまだ武士でいられるか?お前の見た、眩しい程の、武士か?



トシへ
何を言ってるの?あんまり馬鹿げた事言うようだと、引っ叩くよ。私武士じゃないけど、二言はないの。貴方を、   戦って散った新撰組の彼らを、武士と言わずに一体誰を武士というの?弱気になるのはいいの。ただ、間違わないで。もっと自分が武士である事に誇りを持ってよ。それにね、貴方が武士でないと困るのは私なの。別に生まれながらの武士じゃないと嫌だとかそういう下らない事じゃなくて。……ねえ、私を武士の妻にしてはくれないの?



青葉へ
これだから江戸の女は困る。お前言葉の意味、分かって言ってるのか?もし分かって言ってるならとんでもねえ女だな。汐らしくしろとか最早そんな次元じゃねえぞ。そういう言葉は男が言うもんだって相場は決まりきってんだよ。今すぐ帰る。その無駄口しか叩かない口、少し黙らせて待っておけ。







 江戸に、旧幕府軍が敗戦し長い戦が終結を見たのだと知らされたのは彼の文を受け取ってからすぐの事だった。結局形的には彼は負けてしまったけれど、私の前に姿を現した彼の顔はこれっぽっちも変わってはいなかった。清々しいまでの風を裂くようにして、私の元に舞い降りた。
 嗚呼、今日は天気がいい。今からでもトシの汚れた衣類を洗っても乾いてしまうだろう。それとも、彼はもう洋装に身を包む必要もないのだからあの懐かしい、彼の瞳と同じ色をした着物を取りだそうか。これだけ天気が良ければ日向ぼっこがてら昼寝するのもいいかもしれない。ああでもトシ、お腹すいてないかな。江戸の味付けが、恋しいんじゃないかな  考え出すときりがない程に、止まらない。目の前にいる彼がまだトシだと、信じきれなくて。
「土産、持ってきたぞ。」
 強い日の光に包まれて、彼は少し顔を歪ませる。もしかすると私の視界が滲んでいたからそう見えただけかもしれない。でもそんな事だってもう、どうでもいいのだ。文でしか感じる事の出来なかった彼の温もりが、今、確実に此処にある。
 腰に刺さった二本の重しを外した彼は“武士”を脱いだ。ようやく身軽になった彼に、私は全体重をかけるようにして彼にしがみ付いた。久しぶりに感じた彼の愛おしい香りが、鼻をくすぐっていた。

「ただいま。」

#慾望の形骸
( 20110313 )