私はあまり自分を過信するタイプではない。しかしながら、そんな私にも断言できることがたった一つだけある。ことこの男の事に関してならば、きっと他の誰よりも知り尽くしていると。けれど、知りすぎているからこそその実を未だ理解し切れていないのかもしれない。
 攘夷戦争が終わってからもう随分と時が経つけれど、本当にこの男は変わらない。私自身も何も変わっていないのだから、人のことを偉そうに言えもしないし、人間そう易々と変われる訳でもないらしい。自分でも変わりたいのか、それとも変わりたくないのかよく分からないのだから優柔不断の極みだろう。私と同じように変わらない銀時の隣はぬるま湯のようで、人知れず私にとって心地いいのかもしれない。けれど、同時にぬるま湯に浸かりながらも塩分濃度が下がった塩を傷口に塗り続けているとも言えるような気がした。
「タダでキャバ嬢に酌してもらうとか随分贅沢だね。」
「タダ超えてお前の奢りだけどな。」
「タダほど怖いものないって言葉知らないの?」
「貧乏臭えな、それ。」
「貧乏はあんたでしょ。」
 銀時から飲みの誘いを受けたのは酷く久しぶりのことだった。用意周到に私のシフトをお妙から聞いたのだろうか。週に数回昼間の暇な時間によろず屋の手伝いをしている時は私が飲みに行こうと誘った所でついても来ないくせに。夜の商売してる女に集られる金はないと難癖をつけて。
 銀時との付き合いはもう長い。松下村塾の一番弟子であった銀時と出会ったのはまだ年端も行かない昔のことで、遠い記憶の筈なのに不思議と簡単に思い出すことのできる私の思い出だ。
「お前いつまでキャバ嬢なんてやってんの?歳と接客される側の人間の事も考えろよ。」
 我ながらそこを突かれると反論に困ってしまう。自覚がある分、それがずっしりと重みを増して突き刺さるような気がする。彼のいなし方など遠い昔に習得している筈なのに、ここ最近時折忘れてしまったように間が空いてしまうことが増えた。
「よろず屋一本で自立できてないんだからあんたにも責任あるでしょ。」
「“なら銀さん責任とってよ”とか可愛い事言えねえお前にも責任あんだろ。」
「可愛い台詞はお金との等価交換だから。」
「これだから水商売の女は可愛くねえ。」
 いろんな事への潮時がそろそろ迫っているような気がするのはきっと気のせいではないだろう。自分の年を考えても当然で、寧ろ一周も二周も回って遅すぎるほどだ。私がこの街にこだわる必要もなければ、私がこの街に縛られる必要だってない。
 なんとなくなぁなぁとこんな二足の草鞋を続けてきたけれど、果たして私がその間で得たものなどあったのだろうかと最近自問しては答えを出せずにいる。こんなしみったれた事を考えている時点で、本当にここらが潮時なのだろうと思う。
「あの時代を生き抜いた身として、寧ろこれは正解でしょ。」
「正解とか自分で言ってる時点で底が見えてんな。」
 何も考えていないようにふわふわとしている銀時の言葉は、時々私を窮地に陥れる。何度となく救ってきてくれた銀時は、同時に私に現実を見せつける。自分が何もできないただの人間であり、女であると言われているように感じるのは私の卑屈な性格が齎すのだろうか。
 下級武士の娘として育った私の街に、金銭を受け取らず無償で寺子屋を開いている松下村塾という俄に信じがたい都市伝説のような噂が蔓延った時、興味本位で確認するように私は拠点を突き止めた。何かを学びたかったのかと言われたら、多分そうではなかった。多分、同じ境遇で話し合える理解者が欲しかっただけだったのだろう。当時の自分がそんな大層な事を理解していたとは思えないが、多分本能的に何かを感じ取っていたのだと思う。
「甘い息から出てくるその毒舌どうにかなんないの。」
「甘い息で緩和されてるだけありがたく思えよ。」
「アルコールと混ざると割と最悪って知らない?」
 父が斬られて死んでから、母も程なくして精神を病んで床に伏せるようになった。遠い親縁に引き取られる話が出ていた時、銀時は止めてはくれなかった。選択肢が二択の状態で、あえて辛い道を選ぶ必要性がないことは私自身幼心ながらに理解はしていたつもりだ。けれど、結果的にその道を選ばなかった私を銀時は拒む事もしなかった。寧ろ、ずっと私は彼の庇護下で生きてきたのだ。最も過酷な場所で、彼に過酷な事をさせていたのかもしれない。
「キャバ嬢だろ、もっと気の利いたこと言えよ。」
「奢ってもらってる相手にもっと気の利いた事言って。」
「気の利いた言葉を知らねえから言いようねえだろ。」
 彼は昔からずるいと男だと、そう思っていることだけは事実として今も変わらない。近くまで行ったかと思えば、それ以上近づくことができない気分に陥るのは何故なのか。常時彼と一緒にいる神楽ちゃんや新八君にはそういう感情はないのだろうかとすら思える。
 私たちは一番の理解者でもあって、だからこそ一定の距離を置かないと付き合っていけないという呪縛を抱えているのかもしれない。
「ならもうタダ酒飲む為に呼ぶのはやめて。」
「持ちつ持たれつだろ。」
「そういう所だけ武士の情けを謳わないでよ。」
 いつになったらこの感情から私は逃れられるのだろうか。それがもう無駄な考えであると何年も前から薄々気付きつつも、気づかないようにしている自分にあと何年蓋をし続ければいいのだろうかと思いながら気づいたらこんなにも月日は流れてしまった。
 そんな長い年月で、本当に自分が求め欲していたものがなんであったのかも忘れてしまったのかもしれない。
「めんど臭えから早く酔えよ。」
「…あんたと違って職業柄酒には飲まれない。」
「じゃあ、もっと飲め。」
 彼の言うように、本当にもっと酒に溺れる体質だったら幾分も良かったのかもしれない。その点で言えば、私は真っ当に女として生きる道を共に行くことで捨て去ったのかもしれない。
 攘夷戦争がひとまず形ばかりの終焉を迎えた時、本当に帰る場所はどこにもなかった。それは私だけでなく、あの場にいた皆がそうだった。その過去に縋るように皆で肩を寄せ合いながら生きる事もできただろうに、男たちはそれぞれ違う道に袂を別れた。私が銀時について行ったのは、たまたまだ。
「飲める女を酔わせると代償がでかいよ。」
「てめえの金だ、俺には関係ねえよ。」
「ほんと、クズだね。もっとも、知ってたけど。」
 私のこの感情をまるで手の内で転がしているかのように、数十回に一度だけ、この男は期待を与える。飴と鞭も交互に使うから効力があると言うものをきっと知らないのだろう。けれど、そのいつ来るやも知れぬ飴を待ち続けていれば、もうこんなに長くこの街で時間を過ごしてしまっているのだから、私も真性のマゾなのかもしれない。
「もうあんたに奢る金もないから、帰るよ。」
 会計を頼んで済ませて外に出て歩き始めると、私の腕を引くわけでもなくぼうっとしたその眼を擦りながら私を引き止めるこの距離感にうんざりする。稀に見る飴が撃たれているのかもしれない。ひどく分かりにくい、飴とも言えないその飴を私はいつまで飴と認識できるだろうか。
「帰り道、こっちだろ。酒豪が酔ったか。」
 その一言で、私も歩みを進める先を変えてしまうのだからどうしようもない女でしかない。自分がこの街に身を置いている理由など、一つしかないのだとまるで分かっているような銀時の物言いに不快感を感じながらも、結局私にそれを拒絶するだけの信念など何もない。
「神楽ちゃんは?」
「そよ姫んところ。明日の俺らの任務、忘れたか。」
「そっか。」
 見慣れた階段を登って、戸を開ける。自分の家も目と鼻の先なのにあえてついてきた私を嘲笑ってでもいるのだろうか。結局、銀時が何を考えているかなんて私には分からないし、恐らく一生わかることもないだろう。
「まだ飲みてえなら飲むか?」
「いいよ。翌朝寝ゲロされてもこっちが困る。」
「酔ってねえのに寝れないんじゃないか。」
 喧嘩を売られているような事実でしかないことを言われて余計と酔いが覚めて行くような気がした。銀時は寝ると、冷蔵庫から苺牛乳をラッパ飲みした後布団を敷き始めていそいそとその布切れの中へと入っていった。
「酔ってなきゃこんな所で寝れない。」
「なら明日の仕事のために寝とけ。」
 自分の布団に手招きしてくれる訳でもなく、向こうのソファーで寝ろと遇らわれる訳でもないのは試されているのだろうか。腹が立って、目の前の布団に飛び込んで驚かせてやろうと企てても、銀時の眉ひとつ私には動かすことができない。
「この状況、なに。」
「お前が作り出したんだろ。」
「酔い足りないならまだ飲もうか?」
「うちにアル中は二人もいらねえ。」
 遠い昔にも同じような事をしたような気がする。けれど、もちろん当時も今も何もない。布団が一つしかないという無条件のあの頃と違う境遇を手に入れても、状況は変わらない。決して酒癖がいいと言えないこの男が何も仕掛けてこないのが、全ての答えのような気もする。
「ちゅうの一つもしないの?」
 微かに酔った自分の下心を解放するように言って見ても、返ってくる言葉はいつもと同じくそっけない。私は何十年この男に何を期待しているのだろうかと、自分でも本当に分からなくなる。
「銀さんそういうタイプじゃないからね。」
「陽動じゃなくて?」
「そこまで困ってねえわ。」
 そう言ってそっぽを向いて寝る銀時に、やっぱり私は彼のことを本当に知らないのかもしれないとそう思う。誰よりも彼を知っているというのは本当のところ、過信だったのかもしれない。
「…じゃあ本当のグズ男だね。」
「酒の力に頼ってとか、それこそクズだろ。」
「グズの値にも評価されないってことか。」
 酔った自分を演じるように後ろからその大きな体に縋っても抱きしめてくれる腕はなかったけれど、指の先端を握るように覆いかぶせるとアバズレは早く寝ろと諭される。あの時も、そうだった。
「夢まぼろしにしたくねえなら、早く寝ろ。」
 いつまで私はこの男に期待すればいいのだろうか。そこまで執着するほどの男なのだろうかと自問しながらも、微かに酔っただけの頭はそれを正確に判断できるのだから腹立たしい。結局、私はこの飴の為に婚期も、江戸を去る機会も逸してしまったのだから。
「酒飲まないとキッカケさえ作れないくせに?」
「分かってんならシラフの時に出直せ。」
「そしたら私たち、一生堂々巡りじゃん。」
 そうだ、私たちが繰り返しているのは結局堂々巡りだ。一番近くあって、だからこそそれ以上近くなれない存在として。結局この男が江戸にいる限り、私には明けない夜がお似合いだと言うことなのかもしれない。
 一生答えの出ない堂々巡りにもう一歩前のめりに踏み出した私は、彼よりももっと愚かなのかもしれない。


夜の終わらせかた
( 2022’05’09 )