私の一日は、ここ最近異常に長かった。八木家の主である父と母は家を空けて、病に倒れたという親族の下へ見舞いや看病にと忙しく出たり入ったりを繰り返していた。本来であれば私も駆けつけるべきなのだろうが、幼い弟達の面倒を見る人間が他にいる訳もなく、ここで待機していた。こういう時に、父が貸している隣の屯所に居を構えているのが彼らでなければ、世話のひとつでも押し付けられるのにと、自由がない今の環境に愚痴めいた事をため息に乗せた。
「なんだよ、ご機嫌斜めだな。」
「斜めにもなる。」
「まあそう言うなよ。あいつらもこれで少しは大人しくなるんじゃねえか。」
 そう言って、彼は団子が包まれた袋を掲げて私へと手渡そうとしてくる。目ざとくそれに気づいた彼らはパタパタとこちらへと駆け寄ってきて、背の高い男の前でぴょんぴょんと跳ねて団子を強請った。大人しくなるどころか、むしろ一層に騒がしくなって私はため息を吐き出した。
「余計煩くなったけど。」
「元気ってのはガキの特権じゃねえか。悪く言うなよ。」
 まるで悪びれた様子もない彼に、私は諦めたように勝手場へと出向いて湯を沸かした。茶が出来上がった頃には、沢山あった団子も姿を消しているなんて事もありえるだろうと考えると、より一層と疲れた気分に陥った。
 そんな心配を他所に、私が居間に戻った頃には彼らの姿は既になく早く茶を飲みたそうにしている彼だけが残っていた。どうやら子供の扱いに慣れている人間に、それを預けたようだった。一本ずつ団子を渡して手なずけて早々に沖田に子供達を預けたのだろうと、言われなくても想像がついた。
「ほんと、要領いいね、左之さんは。」
「扱いが得意な奴に任せた方があいつらも楽しいだろ。」
「確かに左之さんが遊んでるのって想像つかない。」
「別に俺だって子供が嫌いな訳じゃあないんだがな。」
 そう言って、彼は私が机へと置いた茶に手をつけて啜り上げた。少し遠く離れた庭先で、元気に駆けずり回る音が聞こえた。傍にいるのも疲れるけれど、見えない所にいるというのも中々に落ち着かないものだ。結局、いつもの私の日常が戻ってこない限り私にとっての本当の安息はないのだと諦めた。
 母の手伝いで炊事洗濯はしていたが、それをほぼ一人でこなすというのも中々に骨が折れる事なのだと今になってようやく母親のありがたみに感謝するきっかけにはなったが、ここ数日は本当に疲れていた。疲れているのに、中々眠れないという矛盾に私はものの見事に寝不足に陥り、苛苛としていた。
「平助が言ってた。が寝不足で苛苛してるって。甘味でも食って機嫌直せ。」
 二本ずつ残っていた団子に、私も手にとってそれをほうばった。甘味は疲れを癒す、そんな言葉を聞いたこともあったが少しだけその効能に預かれたかもしれない。考えても見れば彼自身は何も悪くないというのに、差し入れまでして気遣ってくれているのに申し訳ないなと急に我に返った。少しだけ、ふと気が緩んだ。
「ありがとう。お団子、美味しい。」
「そっか。ならよかった。」
 私達はひと時ばかり与えられた休息に、体を休めたが、実際何を話すのかという肝心な話題を見つけられず、団子を食べ終わると手持ち無沙汰に陥った。てっきり団子を差し入れてそれを食べ終えたら屯所へと帰るのかと思ったが、彼がすぐに立ち上がる気配もなかった。
「眠いなら、俺の膝くらい貸してやってもいいぞ。」
「…余計寝れない、それ。」
 冗談と分かり切ってはいたけれど、よくもそんな冗談をケロっとした顔で口にするなと感心するほどに、彼は至っていつもと同じようなかんばせで私を見ておかしそうにニっと口を模った。
 ここ最近疲れてはいたが、不思議と眠りにつく事ができないのだからこんな状況では、私がその任を全うすることなどできる筈もない。
 沈黙が気まずかったという訳ではなかったけれど、ふいに話題を作ろうと私は口を開く。
「そういえばこの間、左之さんを尋ねてきた女の人がいたっけ。」
「へえ。どんな女だ。」
「多分島原の芸子さんかな。すごい綺麗な人だった。」
 特に気になった訳でもないが、やはり彼は人気があるのだなとふと思ったことを思い出した。これだけ京の街で恐れられている新撰組の屯所にまで尋ねてくるのだから、その効力はよっぽどのものなのだろう。さすが左之さん、なんて茶化してみようかとも思ったがそれも何だか幼稚くさく彼に子ども扱いされそうな気がして口を止めておいた。
「左之さんって、あんまりそういう色事に興味ないの?美人がいいとか、可愛い方がいいとかさ。」
「何だよ。気になるのか。」
「気になるといえば気になるかも。理想像が、思い浮かばないから。」
 やっぱりこの間屯所を尋ねて来た“べっぴん”という言葉が似合うような女性が好みなのだろうか、それとももう少し可愛いらしさがあるような愛嬌のある女性が好みだろうか。考えてみたこともなかったけれど、そのどちらもしっくりと来るが、なんとなく違う気もしていた。何でもざっくばらんに彼は身のうちを話してはくれるけれど、実際のところ内に秘めているものはよく分からないところがあった。大人の男の考えることは、よく分からない。
「たとえばの話だよ、たとえばの。」
「例えばって言ってもな。好きになった奴が、好きなんじゃないか?多分。」
「……キザな言葉も似合うね。」
「皮肉たっぷりな顔だな。」
 その後も、私達は例え話を続けていた。続けたと言っても、主に私が「例えば」と言葉の前につけて質問を投げかけている事がその大半ではあった。答えられるところは彼も答えてくれてはいたが、どうやら彼にとっての「たとえ話」というのはあまりしっくりと来ないようだった。確かに、考えてみれば彼には「たとえ話」なんて性に合わないだろう。白か黒か、割り切ったような男なのだから。
 次は何のたとえ話を彼に尋ねようか考えていたが、そろそろ持ち球もなくなってきて、自然と次に何を聞こうか思案している間に体がふわふわと揺れるように温かみを帯びて、絶妙な眠気に私は襲われていた。そして、そこで一度私の記憶は止まってしまった。
    記憶の彼方で、声が聞こえてきた。弟たちの声で、ふと私の視界に夕焼けが映し出されて眠ってしまっていた事に気づく。畳に寝そべって眠ってしまった。畳の跡でもついていないだろうかと頬を触ろうとした時に、自分の目の前に大きな男の寝顔があって、思わず息を飲んだ。彼も同じように、畳に頬を付けて眠っていた。
「……よく寝たって顔だな。」
「そういう左之さんこそ。」
 切れ長な彼の目がゆるゆると開かれて、私と同じく畳の跡がついた頬を指すって私たちは笑ってしまった。案外、いい息抜きになったのかもしれない。
 沖田に「お邪魔しました。」そう言われたのは、その直ぐ後のことだった。




 両親が度々家を空けるようになってから一週間、私の日常が帰ってきた。
 結局、親戚は看病の甲斐もなく亡くなったらしい。顔を合わせたことは一度か二度程あったけれど、感情を入れ込んでしまう程に関わりがあった訳でもなかった私には然程大きな出来事ではなかった。人というのは、案外あっさりと死んでしまうのだなと薄情なことを思うくらいだ。
 やっぱり私にはこの何も変わらない日常がしっくりとくる。ありきたりで平凡で、特別面白みのない日常には違いなかったけれど、母に頼まれた洗濯物を取り込むくらいの生活が私にはちょうどよかった。一生このままでいいと思う私は、きっと酷く横着な女なのだろうなと自分の事ながらも他人事のようにそう思った。
「あ、平助。巡察帰り?」
「そうそう。まったく、最近は京もより一層と物騒だな。」
 食料の調達くらいでしか街に出ない私は、平助から今の京の様子を聞いていた。洗濯物を取り込む手を止めることなく、少しだけ耳を澄ましながら流し聞きをするくらいのいつもの世間話に違いなかった。どうやら最近はまた不貞浪士が京を闊歩しているらしい。まったく持って物騒な世の中だなと人事に思った。
「そういえば最近左之さん見ないけど、出張でも行ったの。」
「左之さんなら怪我して暫く巡察休んでるんだ。」
 先ほどまで何食わぬ顔で平助の世間話を聞いていた私も、ようやく洗濯物を取り込む手を止めた。ここ数日彼の姿を見ないなとは思っていたが、まさかそんな事になっていたなんて夢にも思わなかった。
「何で黙ってたの。」
「何でって…左之さん、には言って欲しくなかっただろうし。」
「怪我って、そんなに悪いの。」
「いや、生き死にに関わるもんじゃないけど。運悪く、槍持ってない時でさ。」
 状況が分からなかったが、取りあえず生き死にに関わる怪我ではないのだと自分を落ち着かせた。けれど、それはあまり縁深くないとは言え親戚が死んだと聞いたときよりもよっぽど身近に恐怖を感じた。もし、彼が怪我だけでは済まず死んでしまっていたのなら   。私は罰の悪そうにしている平助に構うことなく、残りの洗濯物を取り込んで、部屋へと戻った。
 取り込んだ洗濯物を雑にたたみ終えて、勝手場に足を運ぶ。両親が買ってきていた団子があった事を思い出して何の断りもなくそれを持ち出して、屯所の彼の部屋の前へと私は足を運んでいた。襖の前で、小さく彼の名を呟くようにして呼んだけれど、返事はなかった。すぅっと静かに襖を開けると、あの時と同じように目を閉じて眠っている彼の姿があった。
 私は机に団子を置いて、小さくなるようにしてその場に座り込んだ。息をしているのか不安になるほどに静かに眠る彼の呼吸を確かめるように近づいて、きちんと整った呼吸が吐き出されている事に安堵して少しだけ身を離した。
「……男の部屋に上がり込むなんざ、嫁入り前の娘が大胆なんだな。」
「左之さんが死にかけてるって聞いて。」
「勝手に俺を殺すなよ。」
 平助と同じような、少し罰の悪そうなかんばせを私の前で覗かせていた。平助が言うとおり、どうやら彼の怪我は生き死にに関わるものではないのだとようやく私も理解を示して、少しだけ姿勢を崩した。
「心臓に悪いからこういうの止めて欲しい。」
「だから言わなかっただろ。」
「それはもっと止めて欲しい。私だけ、蚊帳の外?」
「そうじゃねえよ。」
 次の言葉を思案している彼と同じように、私も次に続く言葉をうまくつむぐ事が出来ないでいた。彼がこうして怪我をしながらもしっかりと生きていることに喜びを伝えればそれでいいのだろうけれど、そんな事をすらりと言える程私も素直な性格ではない。自分の事ながら、可愛げの欠片もない女だなと思う。
 困ったように笑うと、彼は机に置いてある団子に目を付けて、「食っていいか?これ。」と尋ねる。うんと頷くと、綺麗に笹の葉を剥がして白い団子を取り上げて、口へと運んだ。この間一緒に食べた時と、何も変わらない彼の姿だった。
「うん。やっぱ美味いな。団子。」
 急に拍子が抜けた。ニカっと笑って団子を食べるいつもと何も変わらない彼に、何かが途切れたように感情がこみ上げてきた。彼はこうして無傷ではないながらも無事に私の前で団子を食べているのに、何故こんな相反する感情に襲われるのだろうかと不思議に思うほどに。
「…もし、死んでたらどうするの。」
 ふいに、ずっと自分の中で言いとどめていた言葉を解き放った。もしも、たとえばの話、彼がこうして団子を食べる事もなく死んでしまっていたのなら。それは彼に死んで欲しくないという唯の私のわがままなのかもしれないけれど、あったかもしれないたとえ話を考えて、一人どうしようもない気持ちになった。
「たとえ話は、もう終わりだ。。」
 彼は私を諭すように、少し身を近づけて怪我をしていた逆の手で私の髪をゆさゆさと揺らした。いつだって私の髪を揺らしてくれる右手ではなく、その左手は少しだけぎこちなく揺らされた。
「俺は死んじゃいないし、こうしての前にいる。たとえ話なんて、いらないだろ。」
    だから、泣くな。
 そう優しく微笑む原田左之助という男の言葉に、暫く私の涙は止まりそうになかった。そう言えば、私の涙を煽ると知ってか知らずか、私の頭上にはずっと不慣れなその左手が占拠していた。
 彼がこうして生きていること、それが全てなのだと言い聞かせても、煽られたその涙は止まらなかった。
「…死んだら、許さないから。」
 恨めしそうにそう言えば、その左手で彼との距離が詰められた。

 やっぱり、私の日常にはこの男がいなくてはいけないのだ。


( 2020'03'13 )