私は運のない女だ。つくずくそう思う。
 去年の十一月、私は獄寺と同棲を始めた。それは私の望みではなく、彼が言い始めて実現したことだった。それなりに好きな気持ちはあったし、拒否する理由もなく彼との同居生活が始まった。二つ年が下である、彼なりのけじめだったのかもしれない。適齢期を少しすぎた私の配慮だったのかもしれないと、今になればそう思った。
「隼人。ご飯できたよ。」
「何だそれ。米が赤い。」
「そりゃそうでしょ。タコ飯だもん。」
「食った事ないな、タコ飯。」
「うん。私も初めて作った。料理サイトのトップにあったからさ。」
 仕事を終えて、自宅に帰ると八時前だった。基本的にはだいたいこれくらいの時間に家につく。最近は迷うこともなくなったが、少し前まで実家へと続く電車に何度かうっかり乗りそうになっていた事を思い出す。彼と同棲を始めて、ようやく二ヶ月が経とうとしていた。
 獄寺は中学時代の後輩だった。以前から付き合ってほしいと何度か言われた事があったが、その誘いを私はずっと断っていた。
 年下には元々興味がなかったし、彼を恋愛対象に思った事もなかった。可愛い後輩と思うことはあっても、それはその範疇を超えない。たまに会って食事をしたり、飲みに行くくらいで正直十分だと思える関係だった。
 きっかけは、私がこっぴどく恋人に振られた所からスタートする。ものの見事に浮気をされ、私は振られた。許すから別れないで欲しいとみすぼらしい真似までしたが、そうまでしても私は彼を繋ぎ止める事ができなかった。
 とにかく一人でいる事が怖かった。学生の頃であればそんな時に誘える友人も沢山いたが、この年齢にもなるとそう数は多くない。私は、獄寺を誘う。一人でいたくないという、その感情だけの為に彼の好意を利用した。
「何これ。うまい。」
「でしょ。やっぱりレシピ通りにやって間違いはないよね。」
「オリジナリティのない奴。」
 そんな憎まれ口を叩きながらも、彼は精一杯私に尽くしてくれる。小食のくせに、無理をしてタコ飯のお代わりを私に要求する。これが、不器用な彼の精一杯の愛情なのだと思うと少しだけおかしくて笑ってしまった。
「何笑ってんだよ。むかつく。」
「ううん。私って、愛されてるなと思って。」
「は?まじ馬鹿なんじゃね?」
 タコ飯を少しだけよそったお椀をもって、私はテーブルへと戻る。ぶつくさと乱暴な言葉をかけてくる彼に、いたずらでもするかのように私は口を尖らせて目を瞑る。馬鹿って言葉が聞こえた後に、戸惑いがちな冷えた唇の感触が伝った。
 これを世では幸せと形容するのだろう。間違いなく私は幸せものだ。いつだって追うばかりの恋愛に精神を削ってきたけれど、追いかけられるのも悪くないと思った。
「ねえ、隼人。」
「ん?」
「隼人のことこんなに好きになるって思わなかった。」
「…殺すぞ。」
「まだ、死にたくないな。」
 そんな冗談めいた会話の中で、ぽつりと聞こえた彼の言葉に私は人生で一番の幸せな時を迎えていた。   結婚しないか、俺たち。なんともシンプルで、簡潔にまとまったプロポーズだった。私は迷わず首を縦に振りかざした。もう一度、彼の冷えた唇が重なった。ほのかに感じる煙草の味ですら、愛おしかった。
 同棲して、半年が経った。すべてが上手くいっている訳ではなかったが、それなりに過ごしていた。帰ってきて料理アプリを開いて料理を作って、食事が終わると彼が食器を洗う。その間に私は一緒に見る動画を探して、動画アプリを開く。
「ねえねえ、これ見たい。」
「見ればいいだろ。どうせ見たくないって言っても見るんだからな、お前。」
「え、そんな事ないよ。隼人も見たいの一緒に見ようよ。」
 そういいながら、食器を洗い終えた彼と白いソファーで動画を探す。ああでもない、こうでもないと言いながらも、結局は私が最初に見たいと言った動画を二人で見始める。私たちの生活はざっとこんな日常だ。マイペースに、幸せを感じていた。
 状況が変わったのは、それから数ヶ月ほどした時の事だった。私が料理アプリを開いて食事を作って待っていても、彼は帰りが遅いことが多くなった。思い悩んでいる様子はあったけれど、極力私の前では普通を装っていた。
「隼人また残業?最近遅いね。」
「…まあな。今日は疲れたからもう寝るわ。」
「そっか。おやすみ。」
 前は、しっかりとおやすみのキスをしてくれただろうに、彼はそれだけを言い放つと寝室へと移動していった。何となく、予兆は感じていた。
 食べ終わった食器を片付けて、ソファーで一息ついた。一人だと、動画を探すことすらしようとは思わなかった。することもなく、取りあえず風呂にでも入ろうと思って寝室へ着替えを取りに行くと、真っ暗な部屋の中でスマホの画面を眺めている彼がいた。
「寝たんじゃなかったの。」
「ん、ちょっとな。」
「眠くないの?疲れてるでしょ。」
「そのうち寝るって。」
 彼の矛盾している行動と発言に、胸が少しざわついた。嫌な予感というのは、確実に外れることがないという事を長年生きてきて私は知っている。彼が何を考えているのか聞き出してすっきりしたい気持ちと、相反して聞いてしまってはそれが最後になるのではないかという恐怖がどうきょしていた。
「なあ、俺たち別れよう。」
「……何で。冗談でしょ。」
「冗談じゃ、ない。」
「私の事嫌いになった?料理おいしくなかった?何で?ねえ、意味わからない。」
「嫌いなんかになれるかよ。好きだ、今もこれからも。」
 まったくもって意味が分からない。ならば何故別れるなんて言うのだろうか。辛そうな顔をしてそのかんばせを歪ませていたけれど、こっちの気持ちも考えて欲しいと思った。
「そんなのずるい!隼人なんて全然好きでもなかったのに勝手に好きにさせておいてそんなの卑怯だよ。」
 発狂しかかっている私は手に持っていたバスタオルやその辺りに転がっているものを彼に向かって投げはなったけれど、怒る様子もなくただじっとしていた。
「ごめん。ほんと、ごめん。お前の事はまじで好きだ。」
 彼はそれだけ告げると、必要最低限の荷物だけを持って私の前から姿を消した。何度着信を鳴らしても、彼がいつものように電話に出てくれることはなかった。
 恋愛は好きになった方の負けというけれど、本当にそうなのだろうと思う。
 中学の頃からあれだけ必死に私を追いかけていた獄寺に、私はどこか安心していたのかもしれない。きっと彼が思う私への気持ちに、私が勝ることなんてないのだと。本当は気づいていた。彼が思うよりももっと強く、私が彼を好きだという事実に。
 勝負事に弱い自分を呪いながら、後日私はスマホの画面を見てどうしようもなく心を痛めた。引越し金やら違約金で大変だろうからと短い文面と、その翌日私の口座には数十万という単位の金が振り込まれていた。
 彼と一緒に幸せな気持ちで選んだ家具に包まれたこの部屋で、私は絶望に陥った。

ユートピア再興
( 2020'03'08 )