“笑顔が張り付いているような男“
 犬飼に対する最初の印象はそんな所だった。もちろん言葉が差している通り、印象が良かった訳ではない。人あたりがいい分、実の所で何を考えているか分からない、関わると一番厄介な人間というのが私の推察だ。できる限り、関わりたくないというのが本心だ。
 犬飼は私の大学の上級生であり、ボーダーでの先輩に当たる人物だ。もちろん私は犬飼を知っているけれど、それは一方的なもので、彼は私を知らない。学年も違う事もあるが、特にそれ以外でも関わりはないので知っているはずもない。ボーダー内でも、所詮C級の訓練生の私を彼が気に留めることなどまずないだろう。そう思ってたのに、一体今の私の現状はどういう天変地異が起こったのだろうか。


 大しても好きでない男と付き合い始めたのは、半年ほど前のことだ。特別好きという感情は持ち得ていなかったけれど、所謂構内でも人気のある人だった。気が合わない訳でもなかったし、顔も良かった。周りが恋だの愛だの言っている事を考えても、自分にも彼氏の一人くらいいてもいいのではないかと思った。彼と付き合ったのは、単純に断る理由がなかったというその一点に尽きる。
 別れ際、どちらに主従関係があったかと言えば、私が完全に従になっていたのだろう。男は追いたい生き物で、女は追われたい生き物というのは本当に正しいと思う。私と彼の気持ちがイーブンになった時、彼の熱が一気に冷めていくのを身をもって感じた。別に無下にされた訳ではなかったけれど、彼が一仕事終えたようなそんな様に見えた。
 結局のところ、また新しく追う対象を見つけた彼は、私を振った。綺麗な言葉で着飾ったその言葉は酷く残酷で、私を傷つけた。別の女を見つけたという罪を持ちながらも、私との関係を綺麗に清算しようとする男の言葉は、ろくでもないものだった。
ちゃんだよね、こんばんは。」
 そんな傷心している私に声をかけてきたのは、犬飼だった。学校ではなく、ボーダー本部の訓練室で自主練を終えた後の休憩所で声をかけられた。何故私の事を知っているのかという考えと同時に、何か嫌な予感がしたのだ。
「そんな怯えなくたっていいじゃん。声かけただけだよ。」
 犬飼は私を見て、苦笑いをしながらそういった。きっと、私は感情を隠し切る事なくダイレクトに映し出してしまっているのだろうなと、そう思った。それもその筈だ、私は犬飼が苦手だった。関わりがあった訳ではないけれど、直感的に苦手な匂いがした。理由はそれだけだ。
「君、うちの子でしょ?学校で見かけた事ある。」
「随分と記憶力がいいんですね。」
「そんな褒められる程のことでもないけど、可愛い子は自然と記憶に残るからね。」
 この張り付いたような笑顔が、逆に胡散臭いように思うのは私だけなのだろうか。コミュニケーション能力がずば抜けて高いが故に気づかない人もいるのかもしれないけれど、言葉と感情が一致していないような違和感を感じてしまう。
「誰にでもそういう態度とるの、よくないですよ。」
「別に誰にだって同じ様にしてる訳じゃないよ。」
 そうやって、特別感を出してくるのはずるいと思う。こうして、多くの女にも同じ殺し文句を使っているのだろうと思うと、妙な腹立たしさまで感じられる。その雰囲気がどこか、自分の知っている人間に似ているように感じたからそう思ったのかもしれない。
「気になる相手には自分から近づくタイプだから、俺。」
 張り付いた笑顔が、より一層に私の中での不信感を煽っていくように大きく広がっていった。
 間も無くして、私はB級に昇級した。正隊員である犬飼を視界に映す回数や頻度も高くなる事を懸念していたが、彼は一定の距離を保ったまま、あの時以来私に接触してこない。同じ空間にいる時、一度だけ私の視線に気付いたようでにっこりと笑みを浮かべながら、右手をひらひらと私に振りかざしてきただけで、わざわざ声をかけてくる事もなかった。
 失恋の傷というものは、数日やそこらで解消するものではないらしく、私は未練がましく未だに引きずっていた。友人が入っているサークルで開かれるよく分からない飲み会に参加したりもしたけれど、私の肌には合わなかった。酒に酔った人間が、酒の勢いで言い寄ってくるその様が、酷く気持ちが悪いと感じた。
 ふと、そんな時犬飼のことを思い出した。あれだけインパクトのある接触を初回でしておきながら、一体何が彼の狙いだったのだろうか私にはその真意が分からない。ただ単に暇を持て余していたところに、見かけたことのある私がいてちょっかいを出しただけなのだろうか。あんな一言を放っておいて、本当に卑怯な男だと思う。好きでなくとも、同じ状況であれば、私だけに限らず皆どこかで気になり考えてしまうだろう。
 そんな事を思うよになってから、失恋の傷は徐々に癒えていった。日にち薬というものなのだろうと、その時はそう思った。
 犬飼が私に二度目の接触を測ってきたのは、B級ランク戦が終わった時の事だった。しっかりと話すネタを揃えてから期を伺う様にして現れたような気がして、用意周到な男だなと思った。気になるという言葉を出しておきながらも、犬飼が私の事など全くとして気になって等いないことは理解していた。そんな事で舞い上がっていては、何度も地獄を見る羽目になるだろう。
「B級昇級おめでとう。」
 ひょっこりと姿を現せたかと思うと、まるで旧知の仲であるかのように話しかけてくる。まだデビューして間もない私が、何故犬飼と言葉を交わす仲なのだろうかと周りがざわついているのがよく分かった。
「あんまり馴れ馴れしくしないで下さい。周りに勘違いされますよ。」
「何のことを言ってるかはっきりとは分からないけど、恐らくその勘違いは俺にとっては都合がいい。」
 周りに人が集まってきているのが分かる。周りが気になる私と、ギャラリーがいることに元々慣れ切っている犬飼は何かおかしい事もであるだろうかとでも言わんばかりの余裕っぷりだ。そして、犬飼は私の余裕のなさを逆手にとって、こう言うのだ。
「そんなに周りの目が気になるなら場所、変える?」
 全ての言葉に意味はあって、そしてどんな言葉でも彼はうまく転換する。全てにおいて優位性が高い男だとそう思う。結局、私はこの得体の知れない男に上手く言いくるめられているのだ。分かっているのに、結局その誘いに乗ってしまう私も、手がつけられない馬鹿でしかない。
 “大して知りもしないくせにって言うだろうけど、俺は沢田ちゃんが好きだよ“
 こんな一言に心を持っていかれる簡単な女ではないと、自分のことをそう思っていた。だから、私は理由をつけたのだ。失恋の傷を癒すには、女の扱いに慣れている男に頼るのが定石なのだと。私は何も、この男に惚れたわけではないのだ。
 私が何と言うのか事前に予測して、“大して知りもしないくせにって言うだろうけど“という前置きをするあたりが、今になって考えるととても犬飼らしいと思うのだ。もう既に癒えていた筈の失恋の傷を理由に持ち出して、私は犬飼の彼女になった。インパクトのある接触をしてからあえて距離を置くことでより存在感を出した彼の戦略を知りながら、私はその場所を選んだ。



 犬飼は、彼氏としては恐らく百二十点の働きをしているだろう。同級生の友人が理想を述べる男性像に、ほぼ近い。整った顔をしている以外でも、行動の面で犬飼はほぼ完璧に近い。分不相応な境遇を手に入れた私は、いまいちその幸せを堪能できないでいた。
「明日非番だよね?どこ、行こっか。」
 自分がボーダーの隊員であることを忘れるかのような、普通の大学生のような会話に時折違和感を感じる。犬飼は極力、私を普通の女の子として扱う。あまり仕事の話をすることはなかった。
「気使わなくていいよ。非番なんだし、ゆっくりしよ。」
はなんでそんなに負い目を感じてるの?俺がしたいと思ってるから言ってるだけなのに。」
 そう言って犬飼は私を甘やかすけれど、私はその甘えに乗り切れないでいる。彼が私に優しいほど、それが真実ではないことの様に思えて仕方がなかった。過去の教訓が、私にそう思わせているのかもしれない。ここで彼に依存してしまったら、また同じ道を辿ってしまうと本能的に思ったのだと思う。
 早く帰ろうと言う彼を横目に、私は訓練場から離れようとしなかった。時刻は、十一時。周りには、私と犬飼以外に誰もいなかった。
は、俺のこと嫌い?」
 彼は、愛情を言葉にすることが好きだ。私に対しても同じような言葉を強制することはあまりないけれど、“好きだよ“といつだって照れる素振りもなく私に伝えてくる。そんな言葉を受けても、私は“ありがとう“と一言述べるまでだ。私たちは、どこか均等が取れていなくて、天秤のようにゆらゆらとお互いの位置の高さを変えている。だからこそ、そう尋ねられたら私も言わざるを得なくなると、彼は知っている。
「…好きだよ。」
「ほんとかなあ。」
「うん、好き。」
「そっか。まあでも、俺がを思うほどではないだろうけどね。」
 そう言って、誰もいないのをいい事に私との距離を詰めてくる。カメラにうつってるかも知れないからと私が体を押し退ければ、“寧ろボーダー全体の公式にしてもらえるならいいじゃんか“そう言って、私から離れようとしない。一度拒否しておきながら言うのもどうかと思うが、私はこんな状況にちょっとした優越感すら感じていた。
 犬飼ともなれば、ボーダーでも名が知れた存在だ。憧れている者も多いだろう。そんな男から一心に愛を受けることを吉としない女もそうそういないだろう。私にとって、犬飼は自慢の彼氏であって、そしていつだって気を許せない相手だ。
「もっと我がまま言いなよ。の我がまま、もっと聞きたい。」
 そうやって私の心を自分に近づけようとしてくるのが、私は怖かった。尽くしてくれる彼氏と、少しそっけない彼女、それくらいの関係性でいたいと思った。
 犬飼は賢い男だ。人前で、馬鹿みたいに私に絡んでくることはない。こうして、誰もいないと分かっている環境でだけ、私を存分に甘やかす。必要以上に関わってこないこのスタイルは、きっと私の属性を察知した彼が独自に行なっているのだろうと思う。私が嫌に思うことは、絶対にしない。全ては私が望むように、言わずとも求めていることだけを与えてくれる。
「ごめんね。実は明日、大学の飲み会なんだ。」
 こうして私が意味のわからない嘘をついても、彼は表情を変えない。いつだって張り付いた笑みを浮かべて、私に接してくれる。きっとそれが嘘であると分かっていながら、態度を変えない。
「それ俺も行っちゃ駄目なやつ?」
「澄晴くんがきたら、皆んながびっくりしちゃうよ。」
「いいじゃん。たまには見せつけておかないとね。」
「そんな牽制しなくてもなんにもないから、私は。」
 本当はもっと、犬飼が彼氏であることを自慢したかった。彼氏がいるという話はしているし、とても尽くしてもらっていることも伝えている。けれど、紹介してと言われた時、私はいつも足をすくめる。ボーダーの任務が忙しい人だからと、そんな理由をつけては、犬飼を誰かと合わせるきっかけを切ってきた。
 もちろん、友人に紹介したら誰に取られるのではないかという下らない理由からではない。同じ大学に通っている犬飼を、大学の友人に合わせる事はそこまで難しいことはでない。寧ろ、大学でも自分の意思とは裏腹に目立った存在である犬飼の存在を知っている友人も多い。
「俺のって、皆んなに俺は教えたいんだけどな。」
 そう言って、彼は私をぎゅうっと抱き寄せて、距離を詰める。これだけ熱い言葉を言われても、私はどこか、彼の本気度を感じられないでいた。確実に愛されている筈なのに、その言葉がどうしようもなくこの場限りで薄っぺらいもののように感じられるのは、私の性格が歪んでいるからなのだろうか。
「ここでヤっちゃいそうだけど我慢するから、の家行ってもいい?」
 私がここで首を縦に振らない事を知っていながら聞いてくる犬飼も、大概な策士だと思う。こうして、私を確実に捉えていくのだから。
 声もなく、うんと首を縦に振りかざせば、彼の張り付いた笑顔はよりにっこりと私へと突き刺さってくる。どうしてこんなにも女の扱いに長けて、完璧な男が私の彼氏でいるのか、私にはいまいち理解できない。心の底から彼を好きと、自分の全体重をかけられないのはそれが理由なのかもしれない。
「トリオン体でも俺はを殺せないだろうから、もし当たったら大変だな。」
「そういう時は非情に慣れる人でしょ、澄晴くんは。」
「そんな事ないよ。相手に打つとか無理だよ。逆にはできちゃったり?」
 そう言われて、初めて考える。犬飼のいる二宮隊とはまだ当たったことがない。そのステージが用意された時、私はどうするのだろうかと考える。これは仕事であって任務なのだからと割り切って望みながらも、きっと私は情が出て墓穴を踏みそうな気がする一方で、犬飼が躊躇なく私を打ち狙うのが想像できて、そっとそれを胸に留めた。
「でも他の人間に殺されるくらいなら、俺の手でを殺したいけどね。」
 それが彼の本性であって、初めて彼らしいなと思う事だった。犬飼と付き合うことで不明瞭だった彼を理解できるかも知れないと思っていた私はより一層と迷子になっていた。彼は本当のところ何が好きで、何が嫌いで、何をどうしたいのか、私には分からない。付き合う事で、より分からなくなっていった。



 自分でついた嘘を現実にするべく、私は大学の友人を誘って飲みに出かけた。普段ボーダーの任務で融通が効かないと知っている友人が気を利かせてくれたのか、随分と大勢が集まる飲み会になっていた。特別何かがあった訳ではなかったが、ここ最近の中では一番自分らしく過ごせた瞬間だったように思う。
 そんな雰囲気が、私を飲ませたのかもしれない。元々酒に強い訳でもなかったけれど、自分の限界や適量は理解していたつもりだった。自分の限界を超えて酒に酔う人間を愚かだと思っていたけれど、私自身がその愚かを体現する事になろうとは思っても見なかった。
 具合が悪い一歩手前の段階が、こんなにも楽しいのかと私は酔いに身を任せる。時刻は、十時過ぎ。そろそろ犬飼から飲み会の状況を確認する連絡が入るような気がしていたら、本当にすぐにスマホがブルっと体に沿って振動した。
 出ないでいると、隣にいた友人がスマホ鳴ってるよと言われなくても分かるような事を言ってきて、ひどく面倒に感じた。
「あ、もしもし。の彼氏さんですか?実は今―――。」
 勝手に私のスマホを取る友人が、犬飼と通話する。出てもいいと私が言った訳でもないのに、勝手にその電話にでた友人は今、私のことを心配そうに見つめながら、犬飼を会話をしている。楽しいを通り越した私が、具合を悪くしていたタイミングだった。こんなところを犬飼に見られるのは、どうしても嫌だった。
「彼氏、迎えにきてくれるって。水、飲んでなよ。」
 少しだけ具合が悪い私は、水が注がれたグラスを持って、少し離れたところでぼうっとしている。酔うとは、こういうことなのだと身をもって知って、ろくなものではないなと思う。一時の快楽の為に、いろんなものを犠牲にする。ずっと酔いが続いていればそんなことを考える暇もなく楽しいのだろうけれど、残念ながら私はある程度時間が経過すればそれなりに酔いが覚めて冷静になるタイプらしい。
 カランカランと、居酒屋の安い鈴の音がドアが空いて響き渡る。そこには、犬飼の姿があった。やれやれとでも言いたげな笑みを貼り付けて、私の元へと近づいてくる。
「どうしたの、酔うなんて珍しいんじゃない?」
 そう言って、私の手を取る。よろっと重心が定まらない私を小脇に抱えて、少し先で行われている飲み会に目を向けて、表情を崩さずに、彼は言う。
が具合悪いってのに、誰も付き添わないの?ほんと、白状だよね。信じられない。」
「私が勝手に酔っ払っただけだし。」
「まあでも、は飲み方を覚えたほうがいいかもね。今度、俺が教えてあげるよ。」
 私は犬飼に連れられながら、その場を去る。こんなにも惨めて、どうしようもない姿を晒したら、きっと犬飼も前の男のように私の前から消えていくのではないだろうかと思った。とにかく不安で仕方がない一方で、まだ体は酒を留めていて思うように言うことを聞いてくれない。
「それとも、俺に嫉妬させる為だった?」
 一気に血の気が引いていくように、酔いが覚めた気がした。彼の言っていることが、ほぼ私の中での正解に近かったからだ。嫉妬をさせたかったのかと言えばそうではなかったけれど、彼がどれだけ私と付き合っていることに本気なのか、それを試してみたいと思ったのは事実だ。
「あえて沢山男がいる場を利用しようとしたのであれば、は策士だね。」
「……私はそこまで頭の回る人間じゃないよ。」
は賢い子だよ。常に周りを見て、自分に不利がないよう動くことに長けている。」
 そうやって、私をジロリと見てくる犬飼はやっぱり笑っていて、私には彼の本当の真意だったり感情は窺い知ることは叶わない。彼はの本音は一体どこにあるのだろうか。これだけ私に執着してくれるのは、何故なのだろうか。彼にとって、私を好きでいることのメリットは、なんなのだろうか。いつだって私は思い悩み、答えを出せずにいる。
 こんなに犬飼を好きになっている自分を、私は認めたくないのだ。主従が逆転した時、私はどういう結末になるのかを知っている。そんな結末を迎える事を避けるため、私はこのまま不安を感じながらも彼氏に溺愛されている彼女を演じ続けるしかないのだ。
 本当の事を言えば、彼が苦手な理由は最初からわかっていた。付き合えば、犬飼は私のことを大切にするとわかっていたからだ。表面上で、大切な彼女にしてくれるとわかっていた。そして、私自身が、彼にのめり込んでいく未来を私は理解していたのかもしれない。
「酔い潰れた彼女を迎えにきた彼氏をやってるから言う訳じゃないけど、一つ見返りを求めてもいいかな。」
 基本的に尽くすことしかしない犬飼が見返りを求めるのは珍しい。だからこそ、私はその見返りが何かを身構えて怯える。まるで、自分の核心をつかれるような事を要望されそうで、冷静ではいられない。
「もう俺が好きだって、認めなよ。」
 私の思考や行動は全て犬飼に見透かされているのだろう。何もかもが筒抜けるように彼の目には映っているのかもしれない。私が口では好きと言いながらも、本心のところでまだ一歩踏み出せていないことを、この男はよく理解している。その上で、私を甘やかせたり、こうして厄介を焼いているのだから、彼にとってそれを上回るメリットが何なのかが未だに理解できないのだ。こうして、私が一喜一憂していることを楽しんでいるだけなのだろうか。
「もし今日のことが戦略だったら、俺その戦略に乗りたいんだけど。」
「澄晴くん、意味わからないよ。」
「大勢の飲み会でチヤホヤされていたであろう彼女に嫉妬する彼氏がやりたいって事。」
 私が夢中になっていくようなことばかりを言って、きっとその反応を見ているのだとひねくれた私は考える。ここで誘いに乗ってしまえば、私は犬飼を失うことになる。もう彼がいない生活は、私には考えられない。例え満たされない感情に苦しめられても、私は犬飼の彼女でいたいと思った。
「好き、澄晴くん。そんなの言うまでもないでしょ。」
 本音であって、それが本音でないようにそっけなく私がそういえば、犬飼はいつもと変わらないかんばせで私を見てくる。それが満足を指しているのか、もっと違う何かを求めているのかは私に分かり得ない。近づけば尚、犬飼のことがわからない。
「そんな事言われたら、欲しくなるよ。」
「今のこの状況で、そんな事言える?」
「いいじゃん、唆るよ。こんな姿、滅多に見れないし。」
 結局家についた頃には酔いも随分と覚めていた。そんな私の状況を把握していたのか、犬飼はいつものように優しく、私をベットへと誘導して、肩を押してベッドに寝かせる。これから始まるであろう情事に、私は本当の愛を感じてもいいものなのだろうか。
「澄晴くん、好き。」
「知ってるよ。俺も、が大好きだよ。」
 この感情を、この関係性をなんと呼ぶのが正解なのだろうか。セフレはどれだけ好きになっても彼女にはしてもらえないと言うけれど、私は彼女でありながらも自分が彼女であると安心することができない。寧ろセフレとして割り切った感情で、損得だけで犬飼と関わっていた方が良かったのかもしれない。
 既にしっかりと犬飼へと向いている気持ちを私があとどれくらい隠し切れるのかは見ものだけれど、それが既に犬飼には筒抜けるように見えているのだから意味がない。けれど、この関係性を保つ事でしか、私と犬飼は共存することができないのだ。
 優しく触れる彼の指も、少し緩い体温も、全部が全部狂う惜しいほどに好きなのに、どうして私はこの男に全てを曝け出して愛されることができないのだろうか。付き合う順番が違っていれば、また違ったのだろうか。答えが分からないまま、私はこの関係を続けていくのだ。


優雅な恐怖
( 2021'12'11 )