私は既婚者だ。
 嫁として嫁いだのは、齢十五になる時だった。


 この年齢で嫁ぐ事はそう珍しい事でもなく、大して驚いたわけでも拒絶した訳でもなかった。相手も全く知らない相手、という訳ではなかったのが最大の要因だろう。私の嫁いだ先は、江戸時代に消えたとされる忍びの一族を司る宇髄という男の元だった。
 忍びにはいくつかの掟がある。私自身もその全ては知らないが、一定の年齢になると強制的に結納をあげるのだという。それは一人であっても、複数であっても構わないという一見自由に見えて限りなく感情のないものに違いない。
 忍びの家で女として生まれた私も、物心ついたときにはそんな決まりきった自分自身の運命を呪う事もなくただただいつか近い将来にやってくる現実として捕らえていた。そこに私の感情は必要ない。親だって表面上はよかったねと声をかけてくれたけれど、よかったのは私ではなく忍びの一族として栄華を誇っている所に嫁に出せたという自分たちの私利私欲にまみれた下らない理由に過ぎなかった。
 私が選ばれた理由は簡単だ。
 私がくのいちとしては能力にたまたま長けていたからという、消去法の元に成り立った事に違いない。自分自身がそれほどまでに才に恵まれているとは思ったこともなかったけれど、確かに言われた事に対しては血を吐くほど努力をしないでも遂行することができた。周りのくのいちはそれこそ血を吐いて死んでいくのを何人も見てきたのだから、その意味では私は恵まれている存在なのかもしれない。裏を返せば、その過酷でしかない世界をこの先も生き続けなければいけないという意味なのだろうけれど。


 忍びは、人里はなれて群れを成して生活するものだ。それは名のとおり世を忍ぶ生き物なのだから当然と言えば当然なのだろうけれど、きっと世の中の日常を見ることでないもの強請りをしてしまうからなのではないかと私は考える。
 忍びの一族にももちろん恋愛の感情はあるし、男女の関係もある。滅びたと言われているとは言え、ひっそりと人里はなれたこの里でしっかりと私たちが生きているのだからそれが確固たる証拠だろう。ただ、忍びとして恋愛感情の末に待ち受けている幸せな結末は少ない。
 それが当たり前の環境で生きているし、生きてきたからこそ、その事象に関しての疑問を持つこともなかったけれど、街中で自分たちと同じような齢の人間を見たときに、こんなにも世は平和で自分に誠実なのだとうらやむのだろうなと思った。それが、人里はなれて居を構える理由のひとつに含まれているのではないかと私は考えていた。
 私たちはそうしなければ生きていけないほどに、普通の人間とは違うのだ。
 虐げられるまではなくとも、奇異の目で見られる標的には違いない。
 忍びの一族として生を授かった事を恨む前に、それが普通なのだと認識するほうが圧倒的に早いのだから懇意な訳でもない男の元へと嫁がされる事にも差して抵抗はなかった。
    これは数年前の話に遡る。
 待ち受けていたのは、忍びらしからぬ祭りのような出来事だった。


 宇髄天元という男のことは、もちろん知っていた。
 そもそも宇髄の血筋と言えば忍びの中では最強と謳われ、そして最も残酷な家柄と言われる。だからこその最強なのだろうと、忍びの里にいるものは誰も逆らえぬ権力のあるお家柄だった。
 彼は忍びとは似ても似つかぬような派手な装飾を着飾った男で、以前目にした時この男は忍びとして生きていくつもりがあるのだろうか疑問に思った。
 年を追う毎に彼の兄弟は消えていなくなり、彼と弟だけが残った。実力社会の忍びの世界でそれは彼がまぎれもなく強いという確固たる証拠に違いがなかった。
「お前、これから結納交わそうってのにほんと地味だな。」
「……それは私が地味なのではなく、貴方が派手過ぎるのでは。」
「俺の嫁さんになろうって女だ、もっと俺を見習えよ。」
「儀式的な結婚ですし、そんな必要はないのでは。」
 これからこの人と夫婦になるのかと思うと、正直少し気が遠くなるような気がしていた。忍びとして忠実に生きてきた私にとってはあまりに目の前にいる男は自分とは似て非なる生き物に違いなかった。まさしくお先真っ暗だ。
「その全部疑問系なの、まずは治せばどうだ。」
 彼に言われて初めて、きっと生まれて初めて自分の事について考察をした気がする。
 忍びにとっての個性は、必要ない。そう教わってきた。隠れるように生きるものに個性など必要がないのだと教えてこられたからだ。だからこそ、自分のことについて深く考えたことなど一度もなかった。
「自らの意思で物事を判断できない奴は、その場で死ぬだけだ。」
 確かに彼の言うとおり私は自我も薄く、そして己に自信のない人間だったのだと気づく。何かを断言できるだけの強さがないからだ。言い切ることができないのは私の弱さだ。
「失望しましたか、こんな女で。」
「別に。」
「確かにお互いの事を知る必要なんてないし、どうでもいいですね。」
「そうじゃねえよ。」
 私たちは確かにこの後夫婦になる。けれど、それは本人同士の意思の元でもなければただただ儀式的な強制力しか持たない。お互いに持ち得ない拒否権だけが、すべての関係を成立させているだけなのだ。
 そんな関係性の中で、何かをもがくだけ体力の無駄遣いと考えていた。
「変わろうと思えば、いつだって変われるだろって言ってんだよ。」
 それは想像にすらしなかった言葉で、私を唖然とさせた。
「それは私が変わろうと思ったら、の話しでしょ。」
 まだ十五とは言えど、それなりの年月を生きてきた。簡単に自分の人格であったり、考えや癖を直すには既に時が遅い。そして最大の理由として、私自身が変わろうと思っていない事に加えて、私はあまり人の意見に左右されない性格でありまたの名を頑固と言うらしい。
 別に意地を張っている訳ではなかったけれど、自分とは似て非なる生き物の考えをすぐに受け入れることができる程私は柔軟には作りこまれていないのだ。
「まずは疑問系をやめて、自分の言葉に信念を持つところから始めたらどうだ。」
 その言葉は酷く真っ直ぐで、私が生きてきた中で知らない感情を疼かせた。そんなように言われたこともなかったし、きっと彼も忍びを率いる家系で私以上に厳しく育ってきた筈だった。
 幼いころから思っていた。誰かと群れる事があっても、みんな似たり寄ったりで面白みがないなと。そして、自分もそう思われている一員であることは分かっていた。皆が個性を失ったそんな人間だと分かっていたからこそ、自分だけが特異であるのかという疑問に駆られることも疎外感を受けることもなく生きてきたのだ。
 けれど、この男は違う。私とは何もかもが違うのだと最初から分かっていながらも、まざまざとこの時それが間違いようもない事実であるのだと認識するに至ったのだ。
。」
 名を、呼ばれたのはいつ振りだろうかと考える。もう指折り数えないと思い出せないほどに遠い昔の事の様に思えた。自分がという名であった事すら忘れていたような気がしていた。
「できる範囲内の自由は、誰にだって平等に与えられてんだよ。俺にも、お前にも。」
 彼が言っている事は至極真っ当に違いない。もちろん、私が忍びの里ではなく、平々凡々な一般町民として生まれていたらの話しだ。けれど、わたしは自由が許されるような身分ではない。だからこそ、今ここで彼と夫婦になるのだから。それが何よりも違いない理由ではないのかと言おうと思ったが、やはりそれも止めた。
「知ってはいましたけど、変わった人ですね。否、不思議な人。」
「俺からしたらの方がよっぽど変わってると思うが。」
「そんな事ないでしょ。私は忍びとして、一般的な考えの持ち主だと自負しています。」
「そりゃ違いねえだろうけど、その前にお前だって人間だろ。」
 今まで考えたこともないような事ばかり私に投げかけてきては、この男は私を混乱させた。一体彼は何がしたいのだろうか。私が十五年間一般常識として捉えていた考え方を塗り替えるのではなく、引き剥がすように、私には暴力的に感じた。
 それも時期になれるだろう。そう思うことで自分を落ち着かせた。そう思わなければ、人生五十年と言われている今のご時世で私は寿命の前にそれこそ頭が可笑しくなってどうにかなりそうな気がした。
「もっと自分の感情に素直になってもいいんじゃねえか。」
 言われたものの、自分の感情に素直になるという事が何に直結しているのか今まで生きてきた経験を持ってしても瞬時に理解ができなかった。
 そもそも私自信何かを貫き通したいと思ったことがほとんどない。普通の女のように夢を見ることだってない。
 幼いころから命を奪う仕事をしてきた人間が、何かを望むなどおこがましいと思っていたし、周りにもそんな夢のような事を可愛らしく語っている人間もいなかった。
「私は、何がしたいんだろう。分かりません。」
「人形じゃねえんだから。」
「でも強ち間違ってないかも。私は、生ける人形かもしれないから。」
 白無垢を着て何を言っているのだろうかと自分の事ながらに不思議な感じを通り越して滑稽に感じた。なぜこんな場面で、こんなにも心を乱されないといけないのだろうか。
 女という生物として最初で最後かもしれない、この結納の場で陥る感情ではないと思った。
 全ては、目の前にいるこの派手な男が私を狂わせている。そんな男を私は生涯の伴侶として生きていけるのだろうかとやはり不安になる。
 私が、きっと私が、忍びではなくただの普通という名の似合う女であったのなら、こんな殺し文句はないのだろうと分かっていながらも、私は一歩下がりたい気持ちをぐっと抑えて、その場にとどまった。
    これを幸せと思えない私は、可哀想だ。
 そう、思った。
「あ、忘れてたわ。」
「……あれだけ喋っておいてまだあるんですか。」
 いくら自分の感情に素直になる事を許された身としても、あの宇髄家の子息に対してもう少し言葉を選べないのかと自分でも自分にうんざりしたけれど、そんな私の言動にも痛くもかゆくもなくあっけらかんとしている彼は、思い出したかのように空を仰いで、そして私を真っ直ぐに見て笑って言い放った。
「別に嫉妬なんてする性質じゃねえけど、素直になるんだったら、俺の前でな。」
 結納を取り交わすには絶好ともいえる、私には少し眩しいくらいの晴天に重なって、この宇髄天元という男のかんばせと言葉は私の目を晦ませた。

 好きになる必要なんてない。
 私はより強い子孫を残すだけの使命を追っていて、それ以外には何も期待されていない。
 別にこの男を好きになる必要なんてないんだ。

 闇に生きるにはあまりも眩しすぎる彼は、やはり私とは似て非なる生き物なのだ。
    闇と光は、共存できない。

( 2020'05'22 )