派手な男と、地味な私が一緒になって、数ヶ月が経った。

 一緒には暮らしているものの、部屋は別だし、時折予定が会えば一緒にご飯を食べるくらいの頻度でしか顔を合わせることはなかった。
 居心地の悪い他人の家で住むというのは如何せん想像以上に苦痛ではあったけれど、小さな家のひとつ屋根の下で四六時中時を共にするよりはずっと気が楽だった。ここ最近の不幸中の幸いな事だった。
 だからこそ、夫婦になったけれど私は大して彼の事を知らない。
 数ヶ月経っても、宇髄家の中でも取分け派手な男の人という印象しかなく、新しい情報は上書き更新されていない。食事を一緒にしたのだって、ほんの数回だ。

 以前の生活と大きく変わった事が一つある。
 嫁ぐ前はほぼ毎日任務に出ていた。任務というのは、人殺しだ。依頼を受けた主の要望のままに、自分の意思とは関係なく人を暗殺する仕事だ。忍びの生業は主にそんな汚い仕事だ。
 あれだけ忙しく、殺伐としていた毎日が嘘のように暇になった。私には依頼ひとつ入っては来ない。理由は、分かっていた。
「…宇髄様。今帰りですか。」
「宇髄って、だってもう宇髄だろ。なんだよその呼び方。」
 厠から戻る時に、彼を見つけた。全身血まみれのその彼を見ても冷静に今帰ったのかを聞く私は薄情な嫁だろうかと我ながら思う。
「それに、心配の一つや二つしてくれてもいいんじゃねえか。」
 まるで私の考えを見透かしたように、分かりきったようなかんばせて苦笑じみて彼は笑い飛ばすようにそう言った。
 全身にこびり付いた血が彼のものではないと分っていたから、何も驚くことはなかった。それは殺した相手の返り血なのだと瞬時にわかった。彼にはかすり傷一つない。忍びとして優秀な彼がこれだけの返り血を浴びてくるという事は、それだけ多くの人間を斬る任務だったのだろうなと察しがついた。
 彼は、強い。この里では謂わずと知れた事実ではあったが、それでもそれがどれ程までに群を抜いているのかは、ある一定の力を持った者にしか分らない事だ。
「返り血で毎日心配してたら、身が持たないから。」
「そういう所可愛げがないな、お前。」
「仮にも私にそんなものを求めているのであれば、相当なお門違いですね。」
「は、言ってくれる。」
 彼もまた、分りきって言っているのだと容易に想像がついた。結局、私たちがやっている事はただの夫婦ごっこだ。そこに感情はないのだ。   お互いに。
 こんな意味のない事をする必要があるのだろうかと、たまに疑問に思う。忍びに生まれ、そして彼と夫婦になったのだから、それが意味であるのだろうけれど、酷く下らない行為だと思った。世の夫婦はこうして、皆ごっこ遊びをして、子孫を繁栄させているのだろうか。そんなものなのだと言われたら、私にはそうなのかと納得する以外に術を持ち合わせることは出来ない。
「じゃあ、また後でな。」
 そう言って、彼は風呂場へと向かっていった。
 きっと、これから一緒に食事を取るのだろう。それは私の意志でも、彼の意志でもないが、仕組まれたように私たち以外の人間が勝手にそうするのだから仕方がない。所詮は私も彼も、誰かに操られている人形のようなものなのだ。
 数刻経った頃、彼は隊服を脱いで簡易的な着物に着替えて私の前へと現れた。
「…その格好の方が似合ってると思いますけど。」
「まあ俺は何着ても似合うが、地味なのは趣味じゃない。」
「その出で立ちならそのままでも全然地味じゃないけど。」
「なんだ、こっちの方が好みだったりする訳。」
 運ばれてきた料理に箸をつけながら、本当にどうでもいい会話が繰り広げられていた。正直な所、いつもの派手な身なりでも、今のような自然体でもどちらでもよかった。述べたのは、あくまでも一般論としての意見だ。そこに私の趣味趣向は含まれていない。
がこっちの方がいいなら別にそうしてもいいけど。」
「どうぞお気になさらず。」
「強いて言うならどっちがいいんだよ。」
 自分の意見を求められた事など、生きてきてほとんどなかった。命じられた事だけを、言われた通りに遂行するのが忍びの務めなのだから、その感情というものは不要で、なんなら煩わしいものだと教えられていた私にはありのままの感情を口にする事が阻まれた。
「それ聞いてどうするんですか。」
 聞いたところで、私たちの関係は変わらないのだ。きっと、何一つ。忍びという属性上、目的がないと動くことはない。それは私だけでなく、他の忍びも同じだ。だからこそ、忍びの概念を飛び越えているこの男の考えていることは私の理解には及ばない。
「お前、歩み寄りって言葉知ってるか。」
 考えたこともなかった。確かに言葉の意味は知ってはいたけれど、何かに対して歩み寄りをしようと思ったことはなかった。それをする必要のある環境下になかったのだから、それもまた仕方のない事だ。何故この男は、私と同じく忍びなのに思考がここまで違うのだろうか。
「俺はに歩み寄ってんの。だから、お前の事知りたいと思ってる訳、駄目?」
「…別に駄目ではないけれど、そうする事に意味がありますか。」
 知ったところで、何も変わらないのに何の必要があるのだろうかと単純に疑問に思った。彼が私の事を知っても、私が彼の事を知っても、知らないまま時が過ぎていくのと然して変わりもなければ意味もない。知ったところで、猛烈に相手の事が好きになる訳でもないのだから、本当に至極意味のない事だと思う。
「お前、俺の嫁だろ。知りたいと思うのが普通だろ。」
「なら私にはその普通が分らない。」
だって得体の知れない男と一緒にいるよりは、ある程度分った男といる方がいいだろ絶対。」
 言われてみて、初めて納得した。確かに得体の知れない男といるよりは、得体の知れている男と一緒にいる事の方が自分にとっても楽なのかもしれない。けれど、だからと言って彼の何を知ればいいのだろうか。何を質問して、彼の何を知れば得体の知らない男になるのかが分らなかった。
「宇髄様と会話してると、自分が人間として足りてないものが沢山ある事に気づかされます。」
「気づきがあったんならそれだけでも成長だろ。」
「成長と同時に、自分という人間が何なのか分らなくなる。」
「いいんじゃねえか、別に。忍びってそんなもん。」
 私が忍びとしては普通の考え、認識を持っているのだと彼も分っているようだった。ならば、何故忍びとして同じく生活している彼は、私とは違うのだろうか。今まで生きて来て、自分が少数派だった事など一度もなかったのだから本当に理解に苦しい。同じ忍びであれば、もう少し分かち合えると思っていた。忍びという生き方を分った上で、もっと淡々と生活を共に出来ると思っていたのだ。
「お前は忍びとしては百点だが、人間としては落第点。」
「その百点があれば充分ですけど。」
 忍びとして、仮にも百点満点を貰えるのであれば、この里では少なくとも胸を張っていけるし、ここではそれが全てなのだから、他には何も必要じゃない。
「俺に、もっと歩み寄れ。興味を、持て。」
 なんて言葉だと思う。きっと彼は、自分に自信があるのだろう。そうでなければこんな言葉は到底出てこない。けれど、忍びではなく一人間として立ち返った時、夫婦とはそういうもので、そうしなければ始まらないものなのかもしれない。ならば、ほんの僅かばかりくらいであれば、自分の感情を口にしてみるのも必要なのかと思った。
「……強いて言うのであれば、今の格好の方が似合ってると思います。」
「強いては取っ払えよ。」
「強いて言うのであればどちらがいいかと聞いたのは、宇髄様でしょ。」
 私が苦し紛れに先ほどの言葉をなぞると、それ以上彼は何も言わずに、新しく運ばれてきたおかずに箸を伸ばして、口を動かした。酷く気に食わなさそうなかんばせだったけれど、文句は言われなかった。
「お前はもう少し可愛げを覚えた方がいい。」
 それはそうだ。私も、そう思う。



 食事を終えた私は自分の部屋へと戻る。一人きりになれるこの空間は、酷く落ち着く。私にとって、本当にくつろぐ事が出来るのはこの時ばかりなのだと思う。
 以前であれば、望まずとも永遠と舞い込んで来る任務で、何も考える必要はなかった。
 今の私には、時間が有り余っていた。だからこそ、何かを考えざるを得ない。暇というものに慣れていない人間にとって、それは酷く退屈で、苦痛に違いがなかった。
 任務が来なくなった理由は、分っていた。それは指令をする上の人間が以前と変わり、宇髄の指揮系統になったからというのもあったけれど、私がここに嫁いで一度たりとも任務がないのだから、全ての理由としてくくる事は出来ない。
 時期に、それが来ることも分っていたし、その為に私はここに嫁いだのだから。
 この数ヶ月間、今まで受けてきた事がないような待遇を受けてきた。それは、大層に大切にされて、閉じ込められたようだった。私の役割が何なのかと自覚している分、表面上でだけのその待遇に踊らされる事もなかったけれど、もう間もなくその任を強制的にでも課せられるのだろう。覚悟はしていたつもりだった。
 湯を浴びて、襦袢に袖を通した時、誰かの使いでやってきた女が襖の奥で私の名を、呼んで、その時がやって来たのだと覚悟を決めた。
    私は忍びである前に、女で、宇髄天元の妻になった人間だ。
 忍びは、酷く残酷な生き物だ。任務の遂行が一番、そこに命の保障はなければ、命は惜しむものではないと物心ついた時から植えつけられて育つ。
 女の忍び、くの一はその子孫を繁栄する為の道具で、産み落とす事が目的である以上生死は問わない。だからこそ、優秀な忍びには、ある程度能力の高いくのいちがあてがわれる。それが、私だ。

 私には選択肢はない。それは拒否権がないという事を裏付けている。
 選択肢があるとすればそれは、生きるか、拒否をして死ぬのかの二択だけだ。
 その選択肢が、今私にも課せられようとしていた。

( 2020'05'28 )