リョータと仲良くなったのは、彼が彩子を好きだったからだ。
 何故そんなに仲が良いのかと聞かれることは日常茶飯事で、そしてその度にこう伝えている。ちなみにこう伝えて納得してもらった事は一度たりともない。ほとんどの人が小首を傾げながら「だから何で?」そう二言目に付け加える。慣れているので特別困りはしない。最早会話のテンプレートになっているその質問を待っている自分がいるのかもしれない。
「あれ、例のやつは?」
「全部売り切れてた。」
「まじで?もう唐揚げの口になってたんだけど。」
「いや俺もだから。」
 リョータは高校時代のクラスメイトだ。仲良くなったのは高校二年生で同じクラスになってしばらく経ったあとで、そして不思議な事に私たちは今東京で同じマンションに住んでいる。同棲している訳ではなくて、ただ同じマンションの違う部屋に住んでいるというだけで、関係性は高校時代のあの頃から何も変わらない。
 今もリョータは彩子に恋をしていて、その事実も変わらない。そんなリョータを純粋に私も応援していて、やっぱりその事実も変わらない。高校二年生、十六〜七歳だったあの頃から関係性はそのまま継続されている。
「え〜、米もうどんも蕎麦もパスタもないよ?」
「炭水化物パーティーかよ。」
「炭水化物、ダイジ。」
「適当にピザでもとりゃよくね?」
「なにそれ超良いじゃん。」
 リョータとは同じ大学に通っている訳じゃない。都内の大学に通っている、ただそれが共通しているだけ。二人で東京の大学に受かった合格通知を見せ合って、一度ハイタッチをした次の行動が「どこに住む?」と言うあまりに自然すぎる会話だったのを今思い出した。
 東京というだけで近い訳でもないのに、気づいた時には二人してどの駅がお互いの大学の中心地になりそうか路線図を辿っていた。少しだけ私の大学側にある駅に的を絞って物件を探していたらちょうど空き部屋がふたつ、条件的にも何ら問題のないその物件ですぐに話はまとまった。
「さっきコマーシャルでさ、」
「一枚買ったら一枚無料?」
「よく分かったね、そう。」
「俺に原チャリで行って来いってことね。」
「物分かりよくて助かる〜。」
「俺を使ってくれるよね、まじで。」
「どういたしまして。」
「礼言ってほしいのこっちなんだわ。」
 そう言いながらも、リョータは何故か私の家の玄関に置いているヘルメットの紐に腕を引っ掛けて、ぶらぶらとそれを恩着せがましく私に見せつけるとガチャンとドアを閉めた。
 正直ちょろい。恩着せがましさをアピールされるくらいで三十分もすればピザが手元に届くのだ。それも一枚無料で二枚も。何のダメージも受けていない。
 こんな生活をし始めて二年近く経過している。
 友人にありのままの現状を話すと、十中八九付き合っているのかと聞かれる。きっと私が第三者でも同じことを聞くだろうと思う。けれど不思議なのが、私とリョータの中で、そんな話になることもなければ、酔っ払ってそんな雰囲気になった事すらないのだ。当然付き合おうという話になる訳もない。
 今のこの生活が好きだ。
 気心の知れたリョータがすぐそばにいる生活。
 時間が合えば一緒にご飯を食べて、気が向けば料理とも呼べないものを作って失敗したり成功したり。夏には涼を取る為に一緒にひんやりしそうなホラー映画を見て肝を冷やしたり。ラブロマンス系の映画はそういえばまだ観たことがないけれど。
 とても満たされている。その一言に尽きるんだと思う。
 その言葉は好きな人や恋人に対して感じるものだと勝手に思っていたけれど、家族に対して感じられるそれに近いのかもしれない。そこに恋愛感情が必ずしも必要という訳ではないと思うのだ。
 ただ一つ贅沢な悩みがあるとすれば、それは彩子のことであり、そしてリョータのことでもある。別にリョータが彩子を好きな事実に嫉妬をしている訳じゃない。
 リョータにとって、ずっと恋心を抱き続けられる彩子という存在がいるのが羨ましいのだ。今のところ、私にはリョータのように胸を高鳴らす恋心を抱ける相手はいない。
 あるとすれば、そんな柔らかな嫉妬くらいなものだ。
 高校二年生の四月、初めてリョータと同じクラスになった頃、私はあまり彼のことを知らなかった。
 お世辞にも愛想がいいとは言えないリョータには近寄りがたい雰囲気を感じていた。つまり印象は然程もよくなくて、寧ろ悪かったと思う。冗談も通じなさそうなその雰囲気はどう考えても私とは合わないとそう思った。
 富ヶ丘中学校で何度か同じクラスだった彩子と、数年ぶりに同じクラスになった高校二年生の春。彩子と一緒にいる時間が増えた私にとって、視線を感じて振り返るといつもそこにはリョータの照れ臭い顔があった。その感情が彩子に向いているのがよく分かる。とても直向きだったからだ。
 不良少年が不意に見せるギャップや優しさに女子は弱い。多分例外なく。例え普段本当に不良行為を働いていようと、その不意にみせるギャップの方が脳に刻み込まれるから不思議なものだ。結局、見た目に反してとても一途に彩子を見つめるリョータのギャップが私には新鮮だったのだ。
 彩子の事をきっかけに話しかけてみると、結構物分かりの良い話の通じる男だったという訳だ。バスケにも一生懸命だし、あんな顔をしていて結構情に脆い。何より彩子へのブレない感情がとても好印象だった。すぐに意気投合した理由は恐らくそんなところだろうけれど、大前提私も彩子のことが大好きだからという理由も大きいだろう。
「ご苦労様です。」
「配達員じゃね〜んだけど。」
 酔っ払って彩子への恋心を呟くリョータもいるし、二人して陽気になってペットボトルをひっくり返しながら音楽を流してカラオケ大会もするし、何を話していてもお互い息ができないほど爆笑して両手が真っ赤になるほど手を叩く事もある。決まってそういう時の記憶はないし、二人して仲良く床の隙間に沿った跡をつけて起床する。頭も痛ければ、とても寒い。
「明日体育館使えないんじゃなかった?」
「そ、休み。」
「え〜、じゃあ飲んじゃう?」
「買ってきてないけど。」
「お酒あるよ。」
「主食ねえのに酒はあんのかよ。」
「配達員してくれたリョータくんのために。」
「都合よすぎか。」
「人生結構ご都合主義でしょ。」
 欧米人のようなメニューが勢揃いしているこのマンションの一室、三◯二号室は今日もとても愉快だ。厳密に言うときっと愉快になるのだろうと思う。今は一見クールに見えるリョータも、野菜室に眠っているビールを何本か飲ませてしまえば手を叩いて爆笑するくらいのテンションになってくれる。箸が転んでも可笑しい状態に陥る訳だ。愉快な未来はほぼ確定している。
「でさ、なんのピザにしたの?」
「当ててみてよ。」
「え〜、テリマヨとマルゲとクアトロ!」
「根拠は?」
「私の希望と願望。」
「ファイナルアンサ〜?」
「アンサ〜!」
 配達員宮城リョータが私の部屋のテーブルに置いたピザは、見事私の回答通りの三種類が二枚並べられている。驚きと恐怖があったのはまだ知り合ったばかりの頃で、今は違う。ほとんど正解だろうなと思っている模試の答案を見るくらいの感覚でしかなくて、思わず感想が漏れてしまう。
「うわ、正解。」
「やっぱね、わかってる〜。」
「まじ怪奇現象でしょこれ。」
「もう流石になれたでしょ?」
 彩子という媒介があって仲良くなったのがきっかけだったとしたら、こうして当たり前のように一緒のマンションに住む関係になったのはお互いの趣味趣向が似ていたからなのかもしれない。
 手に取るように相手の事が分かる、そんな言葉がある。けれど私たちはそうじゃない。相手がなにを考えているかなんて分からない。分からないくせに毎回選ぶものが一緒だったりする。偶然だろうかと思っていたのは最初のうちで、今となっては最後答え合わせを念の為にするくらいで、ほとんどは一致する。
 結局一緒にいられるのはそういう要因が大きいんだろうと思う。考えが合うから無理がない。結局そこが一致しないとこんな関係を築く事なんてできない。
 恋が自分と違う要素を持つ人間にするものだとしたら、やっぱり私とリョータは恋愛の対象にはなり得ないのだろうと、そう思う。
 でもそれでいい。掛け替えのない存在はなにも恋人だけじゃない。異性の友人でそこまで思える相手がいるのはきっと幸せな事だ。何の過ちもなく約四年弱が経過している時点で、男女間でもしっかりと友人関係が成立しているという証拠にもなるだろう。
「リョータならそれ選ぶと思ったし。」
「期待おも。」
「でもリョータも聞かなかったじゃん。」
「だって同じだと思うだろそりゃ。」
「そ〜いうことだ。」
 これだけ趣味趣向が似通っているのに、それでもリョータに対して恋というものを連想した事はない。ならば私は一体誰を好きになるんだろう。どんな人を好きになれるんだろうか。私にもリョータにとっての彩子のような、そんな存在がいつか出来るんだろうか。
 リョータの恋を応援している気持ちに一変の曇りもなくて、バスケも恋もこれほどに直向きなのだからそろそろ神様もアクションを起こしても良いんじゃないだろうかと密かに思っている。
 ここまで純粋にずっと同じこと(バスケ)、同じ人(彩子)を見続けられる人なんてそう居ないだろうに。心の底から、リョータの恋を応援している。
「てか次の家の更新ど〜するよ?」
「家が行進するの初耳なんだけど。」
「多分漢字ちげえからそれ。」
 その後聞いた話だと、基本的に賃貸物件には二年に一度更新の有無を確認する作業があるらしい。だから二年を境目に引っ越す人が多く、そしてよほど気に入っていなければ残らないものらしい。更新するには一ヶ月分の家賃と同等の更新料を支払う必要があるのだとリョータは言う。
「この間ポストに書類入ってた。」
「え、まじ?」
「てかここに投げ捨てられてる書類それじゃん。」
「あぶな。」
 この街も、この部屋も、それなりに気に入っている。否、正直に言えば相当気に入っている。
 しかしその一方でミーハーな心もあって、例えばおしゃれなカフェのある街だったり、散歩したくなるような小道のある街だったり、おしゃれは基本していないけどおしゃれに興味がない訳ではない。カフェにも行かないし、散歩に出かける事もないけれど。憧れるのは自由だしお金が掛からない。
「リョータはどうすんの。」
「あ〜俺?」
「なにもったいぶってんの?」
「……いや、別にそんな事ないけど。」
 なんだか少し歯切れが悪い。何か思うところでもあるのだろうか。私の反応次第でどう出るかを思案している顔だとそう思った。趣味趣向が似ているというのは時々厄介で、汲み取る必要のない意図を何となく汲み取ってしまうことがある。汲み取ってしまいそうだったから、あえてごくごく喉を鳴らせてアルコールを落とし込んでいく。ピザとの親和性がとても高い。
「彼氏が出来ちゃったら出るかもね。」
「見込みいんの?」
「手当たり次第みたいな感じやめてくれる?」
「恋バナとか聞いた事ねえもん。」
「私恋バナ聞く方に才があるんだと思う。」
 女子同士でするのが主流とされているらしいけれど、いつも私はリョータのそれを聞いてばかりなのだから。だからきっと聞く才能があるんだと思う。私が彩子と仲が良いということもあるのかもしれないけれど。彩子のことを話す時のリョータは、少し幼く見えた。
「いつまでに出さないと駄目なの、それ。」
「確か一ヶ月前。」
「じゃあまだチャンスはある訳だ。」
「どっちのだよ。」
 まだ猶予は数ヶ月ある。人生なにが起きるかなんて分からないし、誰にも私にも想像出来るものじゃない。だから私もリョータのように恋をして、そしてこの家を出る直近の未来が可能性としてゼロではないということ。
 恋をしてこなかっただけ。しようと思えば私にだってできた筈だ。ただそれに興味がなくて、そして特別しなくてもよかっただけ。きっと今まで本気になったことがなかっただけだ。そうだと思うし、そう言っておかないと色々と辻褄が合わない。
「明日のことは明日考える。」
「明日やろうは馬鹿野郎だろ。」
「言葉のチョイス古くない?」
「うるせ〜し。」
 当たり前のようにリョータと同じマンションで長い時間を共にしている私にとって、リョータが近くに居ない世界は想像がつかないし、想像した事がなかった。だから引っ越しをするにしても、不思議とそれがリョータと離れることになるイメージが湧かなかった。
「じゃあ明後日ちゃんと考える。」
「明後日は大馬鹿野郎だろ。」
 もちろんこの関係が永遠に続くと思ってはいない。でも、終わりがあることは考えていなかったのかもしれない。卒業して社会人になって家庭を持って、色んなステージがある中で私とリョータがこうして一緒にいるのはそのステージの一つに過ぎないということ。
 そんな事実を薄らと潜在的な意識の中で感じていたからなのかもしれない。喉をすり抜けていくビールが今日はより一層と勢いをつけて滑り落ちていく。
 やっぱりピザとの親和性が高いのだ。そう思うことにした。 



ⅱ.鏡にルージュ